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花火

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出番を待っているスターのように楽屋で待機している花火。開演されると次から次へと地響きを轟かせて打ち上がる。ドラムのようにバスドラ、スネア、タムタムがリズムを刻む。たまにハイハットがパシッ、パシッと鳴ったりして。


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変則的なリズムが、サプライズを生む。ぱっと散って、火の粉が落ちていく光の軌跡が美しい。僕はどちらかというと、派手な花火よりも色が整理されていてシンプルな花火が好き。シンプルモダンというやつかな?フォルムもド派手なやつよりこじんまりまん丸い感じがいい。


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時には、夜空にシャンデリアがぶら下がっているように。このぐらい色が整理されている方が、大人っぽくて好きだなあ。ちょっと譲って、2色が交じり合うくらいがいい。


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でも、多くの人は派手なエンターテイメント性が強い花火を好むのだろう。花火だって、本当はシンプルで大人な感じの方をやりたいのかもしれない。きっと、そうに違いない。なぜなら、音楽やデザインなどの多くのクリエティブの世界は、自分のやりたいことと売れるためにやらなければならないことは違うからだ。


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あのエリック・クラプトンだって、アンプラグドの成功でやっと自分の好きな黒人ブルースをやらせてもらえるようになったというじゃないか?


どの世界にも同じような悩みがあるのかもしれない。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:04 | コメント (4)

暑い!

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とにかく、暑いっす!なんですか、今年の東京の暑さは。一日中、外出して会社に戻ってくると、なんだか頭がぼーとする。ちょっと、ソファで横になっているとアザラシになった夢を見た。


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スイスイと透明の海の中を颯爽と泳ぐ姿はとても素敵だ。実は、僕はあまり海が好きではないのです。なぜかって、海には魔物がいるような気がするから。足がつかないところが嫌いです。なんか、足を引っ張られるような気がするんだよね。


だけど、アザラシのように優雅に泳いでみたい。ス〜イスイと。真夏の太陽を海の中まで浴びて、きらめく水の中を泳いでいる。きっと、海の上は暑いけど、海底は涼しいに違いない。光が海底まで差し込んでくるとこが、開放的な感じがしていい。この陽射しがなかったら、とっても寂しい気持ちになっていたに違いない。


人間社会のように摩擦がなく優雅に見える。気の向くままに行きたいところに行くに違いない。それにしてもなぜ、人間社会は摩擦が多いのでしょう。誰もが自分が正しいと思っている。自分を正当化しようとするから反論する。もっと、水の流れに身を任せてみてはどうだろう?


そんなことを空想していたら、電話がなって目が覚めた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:56 | コメント (2)

プチトレビの泉

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後楽園の駅の裏に礫川公園というところがある。小さな公園だけど、駅を出てすぐ、憩いの広場となっている。そこには、小さな泉があってちょっとしたトレビの泉みたいです。


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ローマのトレビの泉では、背を向けてコインを投げ込めばローマ再訪がかなうと言われており、もう一度コインを投げればどんな願いもかなうと言われている。僕が、10年以上前にローマを訪れた時は、仕事に追われ将来の夢が何であるかさえわからなくがむしゃらに働いているときだった。


だから、「その時の目先の仕事がうまくいくように」という小さな願い事くらいしか思いつかなかった。今なら、もっとお願いしたいことがある。大きな夢に向って、信じる仲間と動き出した。今すぐ、ローマに行くことはできないけど、身近にあるプチトレビの泉にお願いに行ってきた。


「願いは必ず実現する」という法則を信じて未来を思い描くしかない。この3年間、なんだか目先真っ暗な中を手探りでもがいていたようだけど、遠くの方に小さな光を見つけ、やっと出口に向い始めたようだ。


ただ、それは出口を見つけたにすぎない。その出口が正しいのか過ちなのかここから出てみないとわからない。正しい出口でありますように。もしも正しい出口だったら、これから全力で目標に向います。どうか願いを叶えてください。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:24 | コメント (6)

自然の造形物

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北国の湿原で美しい葉っぱを見つけた。これは、バイケイソウと言って、ユリ科の多年草で湿原に自生する。山菜のオオバボウシやギョウジャニンニクと似ているため、誤って食べて中毒にかかる事例があるそうだ。


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そんなことよりもこの鮮やかで美しいグリーンと、美しい曲線。このカーブを自然の力で創り出したというところがすごい。


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住宅メーカーの部長さんと設計士の方にお話を伺ったところ、自然物の中には直線がないという。とても興味深いお話だった。話は弾み、バルセロナにあるガウディのグエル公園、カサ・ミラという集合住宅の話題になった。急速に工業化が進んでいたバルセロナで、ガウディは同じセンスも持っていたグエル伯爵の下で自然と調和を目指した総合芸術を作ろうとした。日常の家具や建築物の多くは、直線でできている。これは、大量生産をするための工業化である。


やはり、生物が生きていく空間には曲線がもっとも心地良いと思う。虫かごに入った昆虫たちは、直線の空間で息苦しいのかもしれない。もっと、有機曲線を多用した、虫かごがあってもいい。デザインも調和ということを意識していかなければ、パソコン上でよくても調和しないということが出てくる。


僕のオフィスも曲線だらけにしたら、どうなるのだろう?効率化に慣れてしまった現代人には落ち着かないのかな?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:12 | コメント (7)

旅立つ

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綿毛になったタンポポを見つけた。


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そろそろ、旅立つ季節がやってきた。花言葉は「真実の愛」ということだ。子供の頃、綿毛のタンポポにふ〜っと息を吹きかけ種を飛ばして遊んだ。まあ〜るく繊細で柔らかい球体はふわっと、一瞬コマ送りのように分解され飛んでいく。この瞬間がなんとも心地良かった。


子供の頃、まだ子供だった頃、子供らしい遊びをした。今と違って文明的な遊びなどなかったけど、近所の子供達と野原を飛び回り綿毛のタンポポを見つけて吹き飛ばした。


きっと、綿毛のタンポポも旅立ちたくてうずうずしていたに違いない。子供らしい子供がいたから、お陰で多くのタンポポは飛んで行けた。今でも風が吹けば飛んで行くのかもしれないけれど、子供達に後押しされて飛んで行く種は真実の愛を求めて旅に出る。


そして、今まで違った環境で新しい生活が始まる。別れもあれば出会いもある。そんな季節である。32年前のこの季節、僕も東京で新しい生活が始まった。都会の見るもの触れるもの全てが刺激的だった。この綿毛の種のように風に飛ばされて、北国の小さな町からふわふわと東京に辿り着き、根を下ろした一人である。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:27 | コメント (4)

雑音

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渋谷を歩いていて見つけた、工事中の騒音と壁。


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計算してこういうリズムができたとは思えないけど、工事現場の騒音とともにこの壁にも雑音を感じる。


そこへ、マジックやスプレーで描かれたノイズ。誰が描いたのかしれないけど、ほんとに傍迷惑なことである。こんな所に描かなくてももっと描くところはあるはずなのに。


よく見ると、ヘタウマとも違う、なんとも言いがたい気合いのない線のタッチ。毎日だらだら生きている気怠さを感じる。線は、自分自身を表す。ペン一本で絵を描いたり、文字を書いたりするとその人の人柄が出る。


特に人物を描くと本人のどこかに似てくるから怖い。フォルムが似てくるということではない。内面を表すとでもいうのだろうか?


誰もいないときにこっそりと描いて、スリルを味わっているのかもしれないけど、自分の形跡を残しているんだよね。なんだか、犬のおしっこみたい。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:28 | コメント (0)

猫は逃げる

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猫は、追うと逃げる。この写真のように「よし、よし」をしてあげようとしているのに程よい距離を保ちつつ、警戒している。


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この小憎たらしいほどの、ほっぺのぷるる〜ん。そこをなでなでしてあげたいのに睨みつける。仕事が終わって、ほんのひと時のくつろぎの時間に癒してほしいのにふてぶてしく僕を睨みつける。


何か気に触ることでも言ったのだろうか?瞬時に頭の思考回路が分析する。頭の検索エンジンがいくつかリストアップして優先順位をつける。恐る恐る、猫にどの件についてなのか聞いてみる。返答がない。でも、この不貞腐れた表情は確実に怒っている。『ごめん!僕が悪かったよ』と一歩を踏み出そうものなら、即座にスタートを切れるクラウチングポーズの体勢で準備万端である。


猫は、『ごめんと言えば済むとでも思っているんでしょう?』と顔に書いてある。
『誠意がないのよね。何が悪いのか言ってごらんなさい?』僕は口ごもる。『ふ〜ん、やっぱりね』と猫はつぶやいた。もう、何を言ってもダメなのか?


猫は、きっと僕のことを信じていないんだ。「信じてほしい」と、いくら心の中でつぶやいても目で疑っている。『どうせ、男なんて』とでも言うように。『男だっていろいろいるんだ』と訴えかけると『けっ、小ちゃい男。ちっせぇ〜んだよ』と猫は語る。


大体、猫に癒してもらいたいなどという魂胆が気に食わないらしい。本当は、癒されたいのは猫なのに、人間はいつも猫を癒しの道具にする。


いつまでも距離が縮まらない。この際、思い切って飛びかかるか!きっと、ギャー!とツメで引っ掻きまわされるに違いない。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:54 | コメント (0)

気になるあいつ

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後楽園のラクーアを通りかかると気になるやつがいる。


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それは、メリーゴーランドの屋根の下にいる男の顔だ。夜のメリーゴーランドは美しい。これがぐるぐる回っているだけでも幸せな気分になる。いい大人がじーっと見入ってしまうのだ。


日本語に直すと回転木馬。英語だとmerry=陽気な、go=行く、round=円形の、つまり、ぐるぐる回る陽気な乗り物なのだ。


だから、見ているだけで陽気になるのかもしれない。ただなんとなく、見ているだけで何もかも忘れさせてくれる。大の大人が一人で乗ってはいけないのだろうか?すごく、そそるなあ。


今のお客さんが降りて次の番が来たら、あの入り口の階段に足をかけてしまいそうだ。木馬のポールに片手でつかまって、もう片手は外に向って手を振って満面の笑みを浮かべている自分の姿を想像した。


誰も見ていないから、いいような気がした。その時、携帯電話が鳴って我に返った。メリーゴーランドの屋根の下の男が笑った。「また次があるさっ!」と言っているようだった。いずれは、乗るような予感がする。


ああ、愛しのメリーゴーランド。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:57 | コメント (0)

しばれる

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昨日の東京は寒かった。3月だというのに夕方から雪になった。


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夜11時頃、会社を出て家に帰るとき、道路がシャーベット状の雪だった。足元は滑り、地面を見てアスファルトのムキ出ているところを探して、一歩一歩を踏み出す。身震いしながら、心の中で「ああ、しばれる〜!」とつぶやいた。


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そういえば、18才で上京したころ、知り合いになった友達に「しばれる」という言葉を無意識に使ったら「なにそれ?」と笑われたことを思い出した。「東京を征服してやる!」なんて、羽田からモノレールに乗って、都会の風景に胸躍らせていた。ボストンバックひとつ膝に抱えた少年は、そんなことを考え粋がっていたはずなのに、僕は何か場違いなところに来てしまったような孤独感に追いやられた。


東京で生まれ、東京で育った若者達は世界を見ていたというのになんて差だったのだろう?僕にとって、目新しかったことが東京の若者にとっては日常だった。まだ、インターネットがない時代、情報の格差が激しかった。世界中の情報が簡単に入手できるようになった今、こういう地方の多くの情報を伝えていければいいと思う。


Yahoo知恵袋のベストアンサーで面白い回答があった。「しばれる」という方言が共通語にならないものか?という質問に対して、多くの人はそんな状況がないので必要ないというものだった。『私も北海道の友人に聞くまで
縛れるだと思っていましたので
そういうプレーが好きなのかと思っていましたよ
共通語は無理でしょう
まだギャグのレベルです』というのは、面白かったけど。


語源は「柴割れる」だという説もある。
あまりの寒さに柴の水分が凍結して、「柴が割れる」状態になることから生まれた言葉なのだそうだ。きっと、体験したことがない人のために、今回の写真は体感できるのではないかと思う。「あ〜あ、見ただけでもしばれる」と息を吐きかけながら、両手をすりすりするのです。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:25 | コメント (0)

バンパイア

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札幌の石屋製菓の社屋で朧月を見た。


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子供の頃、テレビで見た手塚治虫のバンパイアを思い出した。実写とアニメの合成でモノクロの映像が妙にリアリティがあった。主人公のトッペイは満月の夜に感情が高ぶるとオオカミに変身するオオカミ男であった。


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現代では、他人のエネルギーを吸い取って、自分のものにしてしまう人をサイキックバンパイアというらしい。自己中で、他人からエネルギーや手柄を吸い取り、自分のエネルギーにしてしまう人。「自分さえ良ければいい」という考えのもと、私利私欲のため相手がどうなろうと構わない。どうして、こんなバンパイアがいるのか?特にこの不景気になるとサイキックバンパイアがどんどん増殖してくる。


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あなたの身近にもいるかもしれない。妙に他人を疲れさせる人。心と心が響き合わない人。人の話をまったく聞いていない人。こんな人がいたら、要注意だ。社会というのは他人との関わりで成り立っている。お互いを思いやる気持ちが大切なはずだ。他人への思いやりも気をつけなければ、生き血を吸い取られる時代。ちょっと、優しくすると図に乗ってきたりなんかしたら、それはサイキックバンパイアだ。


人間だったら、恩とか義理ということを感じとるはずだ。それを相互扶助の関係という。それができないのは、ケモノと一緒である。僕はどうなんだろう?まだ、生き血を吸い取られた形跡はないようだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:05 | コメント (4)

雪融けの窓

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今年の札幌は年末から年始にかけて、悪天候が続いた。


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晴れ男の僕は、行くところ全てが晴れになる。まるで、モーゼの十戒のようにぱぁ〜と雲が割れ、その隙間から陽射しが漏て瞬く間に晴天になる。


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子供の頃、ある真冬の晴れた日の情景を思い出す。猛吹雪かと思ったら、あっという間に晴れて太陽が燦々と白い雪を融かす。窓の下は、氷柱が融けて「ぽちゃ〜ん、ぽちゃ〜ん」と一定のリズムを刻む。家の中から、屋根から滴り降りてくる水滴をず〜っと眺めていたものだ。何かに取り憑かれたように…


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そんな思い出をもう一度体験したくて、車を走らせた。それなのに暖冬の北国は、氷柱がない。ちょっと天気が良くなるとすぐに屋根の雪が滑り落ちてしまうのだ。一体どこまで走ったのだろう?そのうち、だんだん曇ってきた。外へ出てシャッターを切ると凍てつくように寒い。


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日本海沿いを走り、どこだかわからないけど適当に内陸部へ入ってみた。きっと、辺り一面、牧場なのだろう?遠くの方に民家があるだけ。そこの納屋でやっと貴重な氷柱を見つけた。
本当は、氷柱を見上げた時、陽射しが逆光で氷を透かしてきらきら輝いてくれるといいのだけど。それは、次回の課題にしよう。ああ、氷柱!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:40 | コメント (6)

2010年スタート

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みなさま、新年明けましておめでとうございます。
寒いけど温かい、北国の冬景色をお届けします。


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北国に住んでいる方には当たり前の風景も、こうやってファインダーで切り取ると暖かみのある風景に見えるものです。僕がデザインをするとき根底に流れているものは、子供の頃、近所にあったレンガ作りのサイロなのかもしれない。真冬の白い世界とレンガ作りの家。北国の夜は早い。寒さに震えながらコートの雪を落とし家の中に入ると、黒いスティール製の薪ストーブの小窓から赤い炎が灯っている。台所から、料理の湯気が漂ってくる。


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冬になると家には雪が被いかぶさり、白銀の寒さの中にも風情があった。リビングには、薪ストーブが煙突でつながって、たしかペチカというレンガ作りの暖炉があった。秋にはどこの家も撒きストーブに焼べる薪割りをする光景が目に浮かぶ。三角屋根には、レンガの煙突があって、本当にサンタクロースがそこから入ってくると信じていたくらいだ。


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これからもこの温もりをデザインに生かしていきたい。
今年も宜しくお願い致します。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:13 | コメント (6)

多面体

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ラクーアにある光の多面体。


球に見えるけど、三角形の形をした面の集まり。面というより、本当は線の集まり。線というよりは、電球という点の集まり。ひとつだと電球でしかないけれど、これが線になり面になる。


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人は、一人では生きていけない。一人の人間が他人と手を取り合い、助け合い、思いやることで、社会という多面体ができる。仕事においても遊びにおいても人との関わりを持つことで、何か別のエネルギーが生まれる。きっと、人間関係の摩擦で傷つくこともあるかもしれない。


社会と関わるということは、その摩擦と避けて通れないということなのかもしれない。ストレス社会と言うけれど、ストレスのない社会など存在するのであろうか?ストレスという言葉がなかったときは、人はそれをストレスと認識したのだろうか?何か、ストレスという言葉に振り回されていないだろうか?


僕は、子供の頃、部屋に引き蘢り、ひとりコツコツと絵を描いたり工作をしたりするのが好きだった。外で野球をしたり、サッカーをするのが苦手だった。今では、この仕事は他人と関わっていくことで喜びを感じる。


他人に否定されたり、あまり反応がなかったりする中で、もっといいものを作ろうという意識が生まれる。本当は、傷つきやすい僕はそんな否定的な意見など聞きたくないのかもしれない。でも、ある時、それを受け入れたとき、世界が広がった。「もっと、もっと、否定して!」というくらいに。そして、いつのまにかそれを否定とは思わなくなった。今では、それを違う視点と言う。


この多面体を見つめながら、そんなことを思った。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:19 | コメント (6)

レンガの法則

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小樽運河のレンガの倉庫を見て、因果の法則を僕なりに発展させてみた。


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因果の法則とは、結果には必ず原因があるというもの。朝、起きて爽やかな気分でみんなに「おはよう!」と声をかければ、誰もが気分爽快になるというもの。逆に気分が悪く、「今日、一日始まるのが嫌だなあ」と思っている人に暗く挨拶されると、会う人にもそれが伝わり、嫌なエネルギーを引き寄せてしまう。


気分の悪い人は、みんなが気分悪そうにしている表情を見て、ますます嫌な気分になる。これは、自分自身に原因があることを気付かずに他人のせいにしているけれど、実はこの結果を生み出している張本人=原因は、自分自身にあるということ。


人は、人との出会いによって、自分を変えることができる。要するに自分の交友関係というのは、自分が発してきたエネルギーみたいなものが、同類を引き寄せてしまう。正直で誠実な人にはそのような人が集まり、悪いことを考えている人には、それなりの人が集まる。誰かの悪口ばかり言っている人は、周りが悪い人ばかりに見えてくる。自分の周りにはいい人ばかりだと思っているといい人が寄ってくる。愛しているヒトには、愛されるので自然と笑顔になる。奥さんに文句ばかり言われている旦那さんは、だんだん暗い表情になってくる。


この法則は、一日で激変するということでもない。この小樽運河の倉庫のようにレンガをひとつひとつ積み上げて、はじめて倉庫という形になる。そして、何年の月日を経て味わいのある表情になる。毎日、ひとつひとつの積み重ねが、自分の人格形成につながっていく。


自分が幸せになりたければ、まずは自分を律することから始めよう。
これを今日からレンガの法則と名付ける。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:23 | コメント (4)

幸せへの扉

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閉ざされた頑丈な扉を見て、ふと思った。


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『大人になると、みんな本音で語らなくなったなあ』と…子供の頃は、思ったことをすぐ口に出し、表裏なかったはずなのに。それが、人を傷つけてしまったり、喧嘩の火種になったりと不都合な欠点もあったけれど。


大人になると妙に衝突しなくなり、「本音で語りましょう」という言葉につい調子に乗ると痛い目にあう。もちろん、大人の本音だから相手のことをよかれと思って言っているのだが、その口車に乗せられてはいけない。それとは別に心の扉を開けて、自分が不利になることでもオープンに曝け出せたらきっと信頼関係ができるのだと思う。


愛がなければ、自分を曝け出すことができない。お互いに目に見えない共通の価値観でつながっていると思える時が心地いい。この扉の向こうにある宇宙とつながることが、本当に感じ合え、わかり合える瞬間だ。愛は、時間を超え空間を超え、どこかで同じ感情が芽生えているということ。それを見えなくしているのが、この扉ではないだろうか?説明できない何かがそこに存在するのではないかと思う。新しいヒトやコトに出会った時のあの何とも言えない、直感、官能、ときめき。


幸せって何だろう?何も痛みがないということが幸せというわけでもない。むしろ、傷つき痛みを乗り越えた後に幸せがやってくる。この扉のように自分の中に限界をつくったり開ける努力をしなくなった時、幸せはやってこない。


だから、恐れず勇気を出して幸せの扉を開けよう。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:19 | コメント (14)

晴れ男

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今日から、ポジティブ人間になることを世界へ向けて宣言する。


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金曜日の夜、フォトグラファーのTさんが遊びに来た。いつものようにアートについて盛り上がり、帰り際に一冊の本を置いていった。この手の本は、何十冊と読んだことだろうか?つまり、『思考は現実化する』というあの法則だ。僕が過去に読んだどの本も基本的には同じで、言葉を変え、表現を変え書いているにすぎない。わかっているのだけど、最近何かが狂い始めてネガティブになってしまっていた。別の本には、「ネガティブシンキングの人は、習慣を直してポジティブシンキングになればいい」と書いてあった。


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毎朝、ポジティブな気持ちでその日、一日を爽快な気持ちで過ごすことをイメージしていればほぼそうなる。嫌々一日を始めると寝る時も不快感が残って、次の日も嫌々仕事をすることになる。だから、この習慣を改めポジティブに考えるようにする。これを「引き寄せの法則」というらしい。


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例えば、「遅刻してはいけない」と思うと、遅刻する。「新しい服にこぼしてはいけない」と思うとこぼす。「借金が増えて困った」と思うと次々借金が増える。奥さんが旦那に「浮気したら許さないわよ」と言ったら、浮気する。これは、「遅刻」、「こぼす」、「借金」、「浮気」というキーワードがインプットされるから、それを引き寄せてしまう。カーネギーの本にも書いてあった。母親が「○○ちゃん、お皿割っちゃだめよ」ときつく叱ると必ず子供は割るのである。この場合、正しくは「○○ちゃんだったら、お行儀良くご飯食べられるわよね?」である。


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それには、そうありたいことを強く念じて自分を信じることである。僕は、晴れ男である。そう信じて疑わないので、ロケの時や出張の時、たとえ台風になったとしても僕が乗る飛行機だけが飛ぶ。ロケの時は、出発まで雨が降っているけど、現地に着いて撮影の準備をしていると雲がわかれて、太陽が顔を出す。ある日、大雨の伊豆スカイラインで、ぱ〜っと雲が開けて富士山が見えた。数々の伝説を作ってきた僕だけど、あの時の感動が忘れられない。わかっているんだけど、日常のことに関しては、ついネガティブになっちゃんだよね〜。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 19:13 | コメント (2)

Stray Cat Strut

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野良猫が僕に懐いた。
どこか同類の香りでも漂ったか、僕に気がつくと優雅に腰を振ってこちらへ向ってきた。


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ストレイ・キャッツというバンドのStray Cat Strutという、80年代にヒットした曲がある。僕が今でも好きなミュージシャンのひとりブラアイン・セッツァーの曲。今、僕はこの曲を課題曲にしていたところ。この一匹の野良猫を見て、この曲を思い出した。


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デビュー時のブライアンは、とても端正な顔立ちでまるでジェームズ・ディーンのようだった。透き通った青い目、きれいな形の唇、鼻筋が通った高い鼻、誰が見ても美少年だった。80年代のパンク時代にロカビリーを復活させたロックン・ローラー。10代の頃は、バイクを乗り回し、エディ・コクランに憧れ、不良だったらしい。


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ある番組のインタビューで、ブライアンは言った。「おれは、ボルボに乗っているような奴らとは付き合わない。ギターは尖っている形の物よりもこの丸くて、女の体のようなギターがいい。こいつを片時も離したことがない」と言って、グレッチG6120を撫でまわしていた。(こんなセリフに憧れる〜!)両腕にはすごい入れ墨をして、当時でも珍しいゲキ尖りリーゼントで、ふてぶてしくて悪そうだったけど、目だけはどこか澄んで真っすぐ遠くを見ていた。


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ニューヨーク生まれのブライアンは、最初、アメリカでヒットせず、ロンドンに渡り成功を収める。UKロックだと思っている人もいる。その後、アメリカへ戻り成功するのだが、イギリス人からは見放される。まるで、バンド名のような身寄りのない野良猫だ。それでも、毅然とした態度で自分のスタイルを貫いた。決して卑屈にならずに。いや、僕にはそう見えただけかもしれない。ステージに立つと、リーゼントを片手で掻き上がる仕草がかっこいい。


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この猫の後ろ姿のように、Strut....孤独で寂しがり屋のくせに気取って歩く野良猫。表現者として、どんなに辛くてもこの生きざまを見習いたい。(ブライアン、しびれる〜〜〜!)




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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:42 | コメント (8)

アーバン、ナチュラル派

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然別湖から、北東へ向って糠平湖(ぬかびらこ)へ行った。


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原生林に囲まれた山々の間には、靄がかかっていた。山林を走る車の前方には、青い鳥が左右に振り子のように飛びながら導いてくれる。湖へ辿り着いたら朝日が昇りかけていた。十勝の山の中は気温も低く、湖面には朝靄が漂っていた。なんとも幻想的で美しい風景。真っ暗な夜道から、ぱっと明るくなった気分だった。湖面に浮かぶ靄が朝日を反射して、優しく温かみのあるピンク色に染まっていた。何か心の中を投影しているかのようだった。


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風景というのは、気分を爽快にしてくれたり憂鬱になったりと感情を揺さぶる。この場所に身を置くことによって、風景と一体になれる喜びを感じた。都会派を豪語していた僕は、自然の美しさに打ちのめされた。現代社会では、多くの人と表面的な関係を築き、家庭を築き、仕事を通じ、趣味に高じる。彼らは、何かに利用するための人間関係を築き、誰かにしがみつき、友人も恋人も戦略的に選ぶ。


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自然のいいところは、そういうこととは無関係に日々の張りつめた緊張を楽にしてくる。居心地のいい人間関係というのは、地位や経済力でもなく、お互いに安らぎを与え、緊張を解き放してくるような関係だ。喜びを分かち合い、一体となれるとよりいい。


僕は、自然が好きになった。これからは、自らをアーバン、ナチュラル派と呼ぶことにしよう。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:00 | コメント (4)

ほんのり頬を染める

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大雪山国立公園に然別湖(しかりべつこ)という湖がある。


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北海道でもっとも標高の高い位置にある湖。この湖は3万年前ほどの噴火で川がせき止められてできた。湖の東側には唇山といわれ、湖面に映る影とその形からなんとも色っぽい形をしている。


日の出前から暗闇の中、三脚にカメラを固定して待機していた。湖の向こう岸から、朝日が登ってきた。上唇の形をした小さな山が、シルエットを映し出す。鏡のように澄んだ静かな湖面が表情の全貌を現してきた。上唇のシルエットが湖面にも映って、本当に唇のように見えてくる。なんとも神秘的な湖。鉄の斧でも放り投げてみたくなる。すると、湖の妖精が現れて「あなたの落とした斧はこれですか?」と言って、金の斧を差し出すんだよね。


この鏡のような湖は、自分の心を映し出しているのかもしれない。その時の心の状態が、見る人に様々な表情を見せるに違いない。人間関係にもミラーリングという法則がある。「あの人が嫌い」と思ったら、それが顔に出ていて相手にも伝わり、お互いが嫌いになってしまう。どんな人にだって、短所があるはずなのに、自分の短所はすっかり高い棚にあげて忘れてしまい、相手の短所だけが鼻につく。


ぶっきらぼうな顔をしていると誰もが近寄りがたくなり、本人が気付かないうちに次第に孤立して不幸になっていく。そのことに気がつかないと永遠それの繰り返し。不満は誰にだってあるけれど、お互い様なんだから相手の長所をもっと見るようにしよう。そして、自分から率先して笑顔で挨拶をしよう。きっと、幸せが訪れるよ。


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そんなことを考えていると、目が慣れてきて、桟橋で女性がボートを引っ張っている姿に気がついた。そのシルエットがとても美しく「きれいですね!」と僕は声をかけた。


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湖はみるみるうちに赤く染まった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 19:25 | コメント (10)

子鹿のバンビ

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ここは、十勝の山奥。
車で走っていると「子鹿のバンビ」のようなシーンに出会った。


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バンビの原作は、オーストリア出身のフェリックス・ザルデン。動物文学小説で、動物の目から人間を見る視点を描いたのが画期的だった。


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雪も融け、春の陽気がうららかなある日、森の奥深くに住む、小鳥達が見守る中、シカの赤ちゃんが生まれた。それを見守っていた、カササギは森の仲間に知らせてまわった。森の仲間は、シカの赤ちゃんを見ようと次々に集まってきた。バンビと名付けられたこの子鹿は、森の仲間達とさまざまな冒険をしながら、成長していった。夏になり、食べ物を求めさまようバンビ親子。


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森の長老、みみずくに警告されていた人間の道路というところへ出てしまった。好奇心旺盛のバンビが見たものは、猛スピードでやってきた鉄のかたまり。慌てて、森の茂みの中に飛び込む。木と木の間から覗いてみた。すると、鉄のかたまりはゆっくりと停まり、中にいる生き物がこちらを見ている。


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「あっ、人間だ!逃げろ!」


僕は、バンビを親子に軽く挨拶をしようとしたのだけど、どうやら信用されていなく、逃げて行ってしまった。ディズニー映画の「子鹿のバンビ」は、人間が森の中へやってきて銃を向け、発砲するんだよね。そんな危険を冒してでも新しい世界へ飛び込むのが成長するということなんだと思う。このバンビの親子は、きっと、こわ〜い思いをして何かを学び取ったに違いない。ヒトも旅をすることで成長する。


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僕は、いいヒトなんだけど。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:26 | コメント (8)

幸福

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廃駅になった、帯広にある幸福駅。


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あらためて、幸福ってなんだろう?と考えた。僕が思う幸福は、思いが実現すること。逆にいうと思っていなければ叶うこともないということ。途中、もうダメだとか、無理だとか思うことがある。でも、無理なのは承知でずっと思い続けていると、全ては叶わないかもしれないけれど、願いが叶うことがある。叶わないかもしれないけれど諦めた時点で終わりだ。


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駅舎には、全国から来た人々の願いが紙に書かれて貼られていた。みんな幸福になりたいんだね。

幸福の格言を調べてみた。

幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームズ・バリー)

幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
(ジイド)

喜んで行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である。
(ゲーテ)


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世界の偉人達もそれぞれ幸福に対する認識が違うようである。僕が共感できるのは、この3つかな?僕は、幸福とはもっとささやかなものであり、身近なところにあるのだと思う。いくら何かを手に入れて幸福になったとしても、次から次へと欲が出てきて幸福が遠ざかっていくから。


もしかしたら、幸福を手に入れるには30年くらいかかることだってあるかもしれない。僕は幸福を求めて、レールの上を歩いた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:13 | コメント (6)

夏の終わりに

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水色のそよ風に導かれ、有珠山へ向った。


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8月の終わり、お盆を過ぎたら北国の夏はもう終わりだというのに、強い陽射しが肌を差す。途中、人、ひとりいない真っすぐな道路を走る。周りはのどかな田園風景だった。一足遅れてやってきた僕を、真夏の太陽が店仕舞いしないで待っていてくれたようだ。


その脇には、満面の笑みを浮かべたひまわりが咲いていた。緑と黄色のなんと鮮やかなコントラスト。僕は、こんな色彩を使ったことがない。まして、ひまわりなどという花のことなんか何十年も考えたことがなかった。ちょうど一年前、新宿にある「損保ジャパン東郷青児美術館」でゴッホのひまわりを見た。画集で見るのとは違い、原画の筆のタッチ、マチエールに圧倒された。人生に、生活に苦しんだゴッホは、日本の浮世絵に影響を受けて色彩が明るくなったという。


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この太陽のような笑みを浮かべた花は、僕に希望を与えてくれた。思わず車を停め、シャッターを切った。日本語名の「ひまわり」という由来は、東から太陽が登ったころ、東へ花を向け、西へ太陽が沈むころ、西へと花を向ける習性からである。


よく見ると、太陽は画面の右側から差しているはずなのに、あっち向いたりこっち向いたりしているひまわりもいる。太陽の方へ向くひまわりは若い時だけらしい。その中のひとつが僕と目があった。ちょうど画面の真ん中にいる。ちょっと背伸びして、みんなに埋もれないように笑顔で僕を見つめている。太陽の陽射しを一杯に受け、その光を僕に照らしてくれているように見えた。


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ゴッホは、季節外れになっても何度もこのひまわりを描いたという。きっと、毎日同じ顔を見ていると、季節に関係なくその笑顔に勇気づけられたのだろう。しばらく見ていると、「勇気を出して、頑張って!私、応援しているから」と僕に微笑みかけた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:13 | コメント (6)

森の中のスターダスト

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北国の夜空でスターダストを見た。


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深夜、森の中、どこまでも続く一直線の道を車で走っていた。夜空にキラキラ輝くモノがうごめいた。そこは民家などなく、辺り一面森の中。ヘッドライトを消すと真っ暗で何も見えない。空を見上げ、少しずつ目が慣れてくると星がキラキラ輝いていた。


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こんな夜空、東京では見たことない。あまりにも感動してしばらく夜空を見上げていると首が痛くなった。『これを写真に残すことができるのだろうか?』と思い、三脚とカメラを取り出しセッティングした。仕事仲間のフォトグラファーに露出の設定を聞こうと思ったが、深夜をとうにまわって朝を迎えようとしている。昔、独学で写真の勉強をしたとき、バルブで撮影することを思い出した。
『まっ、いいか!適当に30秒だ』暗闇の中、頭の中でカウントして30を数えた。目が慣れてきて、星の数がだんだん増えてくる。


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まるで、宝石箱をひっくり返したようにキラキラが散らばっていた。夜空の中でひっそりと輝いている星くず達。太陽や月のようにはっきりと存在感があるわけではなく、多くの星が集まってキラキラ輝いている。だから、どの星が素敵というわけでもない。僕が星を好きなのは、ひっそりと輝いているところだ。これ見よがしに目立つのは僕の美学に反する。あくまでもさりげなくが大事。


ひとつひとつは、小さく見える星だけど、僕は、あの星のようにいつまでもキラキラ輝く星となることを、自らに誓った。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:08 | コメント (10)

スーパースター

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札幌の藻岩山の麓にちざきバラ園というところがある。
多くの品種の中でひと際、目を惹いたのがスーパースターというバラ。


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中2の時、ラジオからカーペンターズの「スーパースター」という曲が毎日のように流れていた。夏休みに入る直前のある日のこと。学校から帰ってくると母は庭の手入れをしていた。そこにはバラがあったけど、なんという品種であるか、当時の僕にはまったく興味がなかった。「ただいま〜」っていうと階段を駆け上り自分の部屋に入った。鞄をベッドに放り投げ、真っ先にやることはラジオのスイッチを入れFMを聞くことだった。


当時は、70年代ハードロックの最盛期。ヘビーなサウンドがヒットチャートに上がるという、今では考えられない時代。さしかわ楽器店で買ったヤマハのギターを抱え、荒々しいロックのコードを耳で拾っていくのが楽しみだった。そんな中、カーペンターズの「スーパースター」が流れてきた。ほかの曲とは違い、ゆったりと優しいボーカルに思わず聞き入ってしまった。


後で知ったけど、この原曲は、A Song for Youを書いたレオン・ラッセル。僕が大好きなしわがれボイスのデルタブルースマン。あんなブルージーなミュージシャンがこんな優しい曲を作れることに驚いた。詩の内容はこんな感じ。

   昔、もう遥か昔
   私はあなたと恋に落ちた。 
   2回目のショウの前のこと、
   あなたのギターは、とても優しく澄んでいた。
   でも、あなたは、本当はここにはいない。
   これは、ただのラジオだから。

   覚えている?「ねえ、君のこと好きだよ」って言ったことを。
   「また戻ってくるよ」って言ったでしょう?
   ねえ、あなた聞いて。
   私はあなたを愛してる。本当に愛している。

   孤独はとても悲しいこと。
   私は、もうとても待ちきれない。 
   あなたとまた一緒になりたい。

   どう言ったら、あなたはまた来てくれるのかしら。
   また私のもとに戻って、
   そして、奏でてください。あなたの悲しいギターの音を。


気がつくと、このバラには夕陽が射し、ちょっとオレンジがかっていた。久々に見下ろした札幌の街はずいぶんと様変わりしていた。「昔、あんたを連れてよくここへ来たのよ」と母は言った。目の前にはあの母が車椅子に乗っていた。何も覚えていない僕は、車椅子のグリップを両手で強く握りしめた。ゆっくりと時が流れていく。僕は『大事な待ち合わせに間に合わない』と時計を気にしつつ、落ち着かなかった。でも、なぜか以前のようにいらいらして「早く、帰ろっ!」と、冷たく言えなかった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:08 | コメント (6)

燐光

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小樽に近い、祝津という岬で海底をうごめく燐光を見た。


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ある雨の日、日本海の海面を見ていると海底から何かが光り輝き浮上してきたように見えた。雲の隙間から夕陽が海面を照らし出しただけだったけど。


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この光景を見て、ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」を思い出した。1870年に発表されたこのSF小説は、現代にも通じる世の中の警鐘とも言える内容だった。「その怪物は大海原に姿を見せた。長い紡錘形のときどき燐光を発するクジラより大きく速い怪物だった」と物語は始まる。その怪物は、燐光を発しながら船舶に近づいてきて船体を真っ二つに切り裂くのである。


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これが、反逆者ネモ船長が指揮する、潜水艦ノーチラス号である。ネモ船長は、地上の生活に背を向け、地上の人間に対する復讐の念に燃えて海底を世界中旅する。人間社会と人間の創り出した文明に対する深い不信感によって、自らの部下と娘を引き連れて、理想の海底都市アトランティスへと向う。


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現代なら、「太陽光発電による充電のため、海面近くに浮上した」と書けるかもしれない。ノーチラス号は充電が終わると、どす黒い雲がさっと明るくなり、燐光は海底へと消えていった。


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そんなことを夢想しているうちにいつの間にか雨はあがり、優しい光が雲の隙間から海面を照らし出していた。

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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:13 | コメント (4)

ときめき

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50歳を迎えて何かが変わるだろうか?


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故郷との再会が人生を変えるなんてことがあるとは思わなかった。それは、自分を見つめ直し、ときめいた半年間でもあった。生涯のうち、こんなに自分の過去を思い出したことがあっただろうか?


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あの、透明で澄み切った夜空。丘の上から見下ろしたキラキラ輝く海面、雪解けの小川のせせらぎ…こんな些細なことに意識を向けてこなかった。


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デザインの仕事を通じて自分が何をやるべきかと考えてきたことが、自分のルーツから来ているものだということが理解できた。デザインといえば、先進的で尖ったものという考え方があるかもしれないが、僕が考えるデザインとは見るヒトに「心地良さ」を提供すること。


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地球環境が注目されている時代であるけど、人間環境も大事なこと。僕には地球を救うなどと大それたことはできないけれど、デザインを見たり触れたりしたヒトがささやかな幸せを感じてくれればそれでいい。そうなれば、人間同士が穏やかになり、共存ということをもっと改善していくことができるのではないだろうか?


そして、デザインは素敵であること。なぜかって?素敵なヒトや素敵なモノに出会ったとき、すっごくときめくから。50歳になったって、『年を取った』なんて言わない。年齢は、年を重ねて深みを増していくもの。これからの人生はあの若い頃と同じようにときめきを忘れないこと。素敵、大好き!


18歳の春に単身、何かに突き動かされるようにときめいて、東京へ飛び出して来た頃のことを思い出した。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 14:59 | コメント (8)

50という節目

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7日で僕は50歳になってしまった。


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昔は、人生50とか言ったとか言わないとか。40歳になったときよりもあまり変化は大きくないかなあ。この10年間で少しは変わったのだろうか?変わったことは、相手のことを思いやる余裕がでてきたことかな?


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仕事中、そんなことをしみじみと考えていると、スタッフに食事に誘われた。『毎日、遅くまで仕事しているのだから、たまには早く帰ればいいのに…』と思いつつ、単純な僕は思いとは裏腹にうれしさを隠しきれずに事務所を後にした。


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いつもは、仕事での緊張からか、みんなにいらいらしたり怒ったりしてしまうけど、こうやって仕事を離れるといいスタッフに恵まれて幸せだと思う。別にこのブログを読むことを意識して媚びているわけじゃないからね。グラスを傾けながらみんなの顔をあらためて見ると、とてもいい笑顔をしていたので、心からそう思ったんだ。


具体的にどこがいいかというと、みんな素直さを持ち合わせていること。仕事上、うまくいったりいかなかったりしても素直な気持ちを持っていれば改善していけるということ。他人の功績を喜び、他人のミスに寛大になり、そしてそれをどうしたら良くなるかということを話合えること。それができるスタッフと一緒に仕事ができるということが何よりも幸せだと思っている。


当社は、今年で16年を迎えた。これからは、もっとみんなにとっても幸せと思える環境を作っていきたい。心地良い環境、心地良い人間関係、心地良いデザイン、それを作っていくのが僕の仕事。


今年もありがとう。そして、これからもヨロシク!




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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:47 | コメント (8)

友人Sへの手紙

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前略 医者という仕事は、さぞかし激務のことと察するよ。連休前、30年振りに留萌へ行って来た。


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中2の時、親父の転勤でおれは留萌へ転校した。クラスの女の子に恋をして、妄想日記を書いたのを覚えているか?よそ者のおれは、ヒーローになりたくて、彼女のことを日記の中で、いろいろな想像を膨らませて描写した。おまえとNとYちゃんは大受けで、おれは一躍ヒーローになった。


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でも、翌日からその罪悪感からか、彼女の顔をまともに見るのが辛く、クラスに居られなくなって、休み時間になるとおまえのいる隣のクラスへ逃げん込んで行った。お袋は、見知らぬ土地に馴染めなかったせいか、何度も病気をして入退院を繰り返した。14歳の夏、その寂しさからか、祖母にねだり、さしかわ楽器店で25,000円のヤマハのフォークギターを買ってもらった。おれとおまえは意気投合して、一緒にギターを競い合った。悔しいけど、おまえにいろんなことを教わったかな?


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ビートルズを知ったのもその頃。今だから言うけど、UKロックの虜になっていったのもおまえのお陰だ。英語が得意だったおれたちは、歌詞カードを訳して詩の内容を語り合った。ジョン・レノンのLOVEは深かった。そんなことで叶わぬ恋心を紛らわそうとしていたのかもしれない。


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中2の夏休みには、図書館で一緒に勉強して「成績が上がったら、もっといいギターを買ってもらおう」と励まし合った。おまえはその頃から医者を目指していたんだよな。二人で悪いこといろいろしていたから、勉強ではおまえにすっかり油断してしまった。


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家の裏には留萌川を挟んで山があった。あの裏山を何度も夢で見たよ。そう、二人であの山に登ってギターの練習をした。そして、30数年振りにあの山に登ってみた。近くに橋なんかなくて、子供だった二人はギターを持ってあのローカル線の鉄橋を渡った。あの時と同じように、いつ汽車が来るかもわからないのに、いい大人が渡ったんだ。雲ひとつない青空と初夏の清々しい水色のそよ風がおれの背中を押した。あそこへ立ったら35年前のことが、鮮明に思い出された。青臭い子供達にとって、その危険を冒すことが大人への入り口でもあったのだろうか…


バイパスを渡って、山の麓に辿り着いたら脇に獣道があった。確かにあの険しい獣道を二人で楽器を持って登った。気がついたら、皮のブーツだというのに滑りながら急斜面を夢中で登っていた。一歩一歩踏みしめていると、あの時の情景が鮮明に思い出してきた。35年前の獣道とちっとも変わっていなかった。違っていたのは、山の斜面に雪崩止めと思われる金属製の柵があったくらいかな?


この山のてっぺんで、二人は草むらに腰を降ろしてちっぽけな街を見下ろしてギターを弾いた。あの頃、まだ子供だったおれたちは、何かを征服したよう気分だった。この歳になって見た留萌の街は、昔の印象とは違っていたよ。あの頃は、『なんて田舎に来てしまったんだろう』と不貞腐れていたけれど、今、見渡すと、夕日に照らされた茜色の小さな街はとても美しかった。おれは、大切なことに気がついていなかったんだ。


30年間も東京で成功を夢見て、『故郷に思いを馳せているようじゃ勝てない』などとわかったふりをしていたのかもしれない。ルーツは、あの裏山にあった。二人とも感傷に浸るタイプじゃなかったけど、そろそろそういうのもいい年齢かなと思ったよ。40代は今日でお別れ。おれは明日、50歳になる。


今度、あの裏山のことを語らないか?                       早々

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投稿者 hidetoshi shinohara : 06:41 | コメント (12)

儚いモノ

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風の赴くままに、周りを見渡してみた。


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錆びれたバス、海の男達に見捨てられたボート、今にも朽ちていきそうな空き缶。こんなモノ達が周りの景色に彩りを添えていた。ずっと、放置されたまま何年も日の目をみないモノ達。僕がここへ来て、しっかりと見つめてあげた。誰にも注目を浴びることもないなんて言わせない。かつては、これらのモノも活躍して輝いていた時もあったに違いない。


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大きなバスは、一度に多くの村人を運んでいたときもあったはずだ。その頃は、颯爽とエンジンの音を轟かせ、車体はぴかぴかで、運転手さんと車掌さんは生き生きとして乗客を乗せ、海岸沿いを走っていたのだろうか。ボートは、海の男達がエンジンをかけると浜辺に押し寄せる高波へ向って、頼もしく沖へと出て行く。この空き缶だって、家族が揃った食卓でぴかぴかに光輝いていた時もあったはずだ。


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僕はしゃがみ込んで、空き缶に尋ねてみた。「ねえ、どうして君はここへ留まっているんだい?」「どうしてって、私はもう年老いてこんな錆びれてしまたったから、どこへもいくところなんかないの?もう、誰も私のことなんか見てくれない」「そんなことないよ。いい感じで年老いてきたじゃないか。この錆びれ方はとても味があると思うよ」僕の言葉は、なんの慰めにもならなかった。空き缶はただ無言だった。そこにあるのは、かつては賑わっていた人々の面影だけ。


なんだか砂の惑星にでもいるような、ふっと風が吹いて跡形もなくなって消えていってしまいそうだった。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:24 | コメント (8)

クリスティーナの世界を求めて

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石狩湾沿いを北上すると、左手に日本海、右手に荒涼とした丘陵地帯が見えた。
水色の潮風は、僕をクリスティーナの世界へと誘う。


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この旅は、アンドリュー・ワイエスの幻影を探し求めた旅でもある。多くの人は、この荒涼とした廃墟を嫌う。何か寂れた、もの悲しさを誘うからであろうか?僕は、なぜ、ワイエスがこのような荒涼とした世界を描き続けたのか考えた。


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昨年、アンドリュー・ワイエス展を見た時、どこか北海道の懐かしい原風景を思い出した。アメリカと日本の違いはあるけれど、いつかこの枯れた風景に共通点を見出そうと思った。


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ワイエスは22才の時、メーン州の海辺の小さな村にある、古い大きな木造の一軒家を訪れた。そこには、二人きりで住んでいたオルソン家のクリスティーナとアルヴァロンという姉弟が、寄り添いながら与えられた生を淡々と生きていた。その姿に共感を抱いたワイエスは、以後深い友情のもと姉弟が亡くなるまで親しく交流したという。そして、夏が来るたびにこの家を繰り返し訪れ、30年間に渡り描き続けた。


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クリスティーナの世界は、手足の不自由な女性が自力で丘を這い上がって、前へ進もうとしている生命力を感じさせる1枚の絵である。人里離れた、殺風景なところにワイエスは何を感じ、どんなインスピレーションにより絵を仕上げていったのだろう?


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僕は、そんなことを考えながら、この廃墟と化した土地を眺めた。耳を澄ますと、牧場で淡々と働く人々の風切音が聞こえてくる。ワイエスは、廃墟を描こうとしたのではなく人々の面影を描こうとしたのだ。


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この土地を訪れて、自然の厳しさと生命の力強さを感じた。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:28 | コメント (2)

風にふかれるままに

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30年ぶりに故郷を訪ねてみようと思った。


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北国の風は、まだ冷たかった。その風は、石狩湾の潮の流れに乗って、水色に空を染めていた。僕は、その水色の風に導かれて北上の旅に出た。


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昨年、フォトグラファーのT氏とアンドリュー・ワイエス展で盛り上がった。その絵は、お互い雪国で育って共感できるものがあった。どこか、乾いて寒々しい寂れた大地。僕は、北海道のどこかでこのような光景を見たことがあるような気がした。『もう、何十年も遠い過去だから、こんな風景は残っていないかもしれない』と思いつつ、どこかで期待を寄せた。


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札幌から、石狩湾沿いを車で走らせ、「アンドリュー・ワイエスはどこだ」とつぶやいていた。しばらく行くと、昔懐かしいサイロを見つけた。枯れ草に今にも崩れ落ちそうな廃屋。つい数日まで、大都会で暮らしていたのが嘘のようだ。あまりにも日常で都会を都会と思わなくなっていた今、このような光景を見ると改めて、都市の力強さを感じる。


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僕が求めていた、アンドリュー・ワイエスの世界がここにあった。時を超え、朽ちていく物の中に、そこに賑わいがあったのだろうか?目をつぶると、もう誰も住んでいない一軒の家に、子供達の声、晩ご飯の支度をしている炊事の音、犬の鳴き声、海岸から吹き付ける、ピュ〜、ピュ〜とうなり声が聞こえる。


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僕は、シャッターを切るたびにため息が出た。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:22 | コメント (2)

変わらないコト、変わったコト

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今年も桜が咲いた。


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毎年、相変わらず確実に咲く。自宅近くの小石川でも桜が咲いた。通称、桜並木通りといわれる播磨坂。こうやって、桜をあらためてみて見ると、多分、生まれた時から桜は変わっていない。ずっとずっと変わっていないんだろうな。逆に変わったコトって何だろう?


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子供の頃から、僕の中には二人の自分がいた。すっごく、積極的で何かに夢中になるとなりふり構わずやり遂げてしまう自分。そうかと思えば、何かもが嫌になって、ちょっとしたことでも傷つき悩み、地獄の果てまでも落ちていってしまう。


実は、未だにそこんとこ変わっていない。だから、面倒くさいやつなんだ。自分でもわかっているんだけどどうにもならない。綺麗なものや感動的なものに出会うとはしゃぎ回るくせに…どこかで、素直になれない自分もいる。


僕は、北海道育ちだったせいか、花見の印象が薄い。東京は、入学式の季節に桜が咲いて晴々した気持ちで新学期を迎えるけれど、北国の春は雪解けでぐちゃぐちゃで美しいという印象なんか何もない。


あの汚い春の印象しか残っていなかった。北海道も5月になれば桜が咲くけどまだ寒いし、それほど花なんかに興味なかった。天真爛漫でみんなの人気者の桜を僕はちょっと遠くで見ていた。まるで、気になるあの子に声もかけられず、もじもじしていた時のように。


あの頃、桜のコトを「好き」って言えなかったけど、今なら言える。この美しくて変わらない桜を見て「好きだよ」って。そこが変わったコトかな?そして、そこがこれからも変わらないコトかな?


気がついたら、素直になった自分がいた。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:41 | コメント (2)

リピート

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新丸ビルを歩いていると、面白い光景に出会った。


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繰り返し、繰り返し同じ造形物が繰り返されている。僕は、丸の内の新丸ビルの空間デザインが好きだ。ダークブラウンに、ミントグリーンのフロストガラスの組み合わせ。ブラウンとこのグリーンの組み合わせは想像もつかなかったなあ〜。


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照明も暗過ぎず、明る過ぎない。ショップも充実していて、ちょっと壁面に装飾を施している。各フロアーにはクラシックなものから、ソンプルモダンなソファも置かれていて寛ぐことができる。


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ラグジュアリーブームに乗っかっているような気もしたが、自然は形で天井から床までとても凝っている。そんな中で、リピートされている天井のアーチ状のフロストガラスがタイムトンネルのように異次元へ連れて行ってくれる。床はエッシャーの騙し絵のようで不思議な空間。


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リピートは単調にも思われがちだけど、このしつこいまでの繰り返しが、何か贅沢な文様に見えてくる。そして、高尚な絵画のように面と向って観賞する必要もなく、無意識に受け入れることができる。このリピートは、まったく主張することのない心地良さだ。最後の写真は、明治生命ビルの地下で、タイムトンネルのような空間があった。あの先に行くと,きっと時代を超えて旅をできるに違いない。原始人に会えるかな?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:55 | コメント (12)

木々を見る

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「木を見て森を見ず」とは、ディテールにこだわりすぎて、
全体を捉えられないことのたとえ。


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そうは言うけれど、都会の真ん中に巨大な大木があったり、ぽかんと口を開けている木があったり、ちょっと人とは違うのがいい、みたいなB型気質の枝があったり…木々を見ていると楽しい。


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デザインの世界では、「創造の神はディテールに宿る」という言葉もある。グラフィックデザインの世界は、ほんとに細かい。これが、1mmの10分の1が見えているか?見えていないか?を議論する時代もあった。そういう僕ものめり込むと細かいことにこだわる性質を持っている。


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でも、最近はパソコンがそこのところを数値化してくれて、そんなに細かい職人芸を持ち合わせなくても正確な線を描けるようになった。「そんなことができるからと言って、だからどうした!」という声が聞こえてきそうである。自分でも「だからどうしたというんだ?」と思うこともある。


僕達の時代は、その細かい線を手作業で描いたものである。息を止めて、何度も直線を引く練習をした。技術の習得という期間が必ずあった。しか〜し、それをしなくても便利な時代になったはずなのに、そういう細かいところに神経が行き届かないデザインを見ることが多い。これはどういうことか?つまり、細かいことを描けるということは、細かいことが見えているということなのだ。便利な道具があるというのに描けないのは、見えていないということでもある。


便利になりすぎて、結果だけを求め過ぎて細かいところに目が行き届かないという時代になってきたのではないだろうか?繊細さというのは感じる心を持ち合わせていることのような気もする。感受性が強くなると他人に対して思いやる心も持てるのだけどね。そんなことを考えて木々を見ていろいろと感じてみた。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:56 | コメント (2)

ゴールデン

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たまたま、ロケ場所を探していて新宿ゴールデン街に辿り着いた。


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テーマはレトロ。なぜ、今、レトロなのか?何もかもが新しくなっていく大東京。表参道ヒルズも六本木ヒルズもミッドタウンもいいけれど、僕にとってはどれも一度行けば、もうときめかない。


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でも、この新宿ゴールデン街は通りを歩いているだけで違う。この壁の汚れ、配管のごみごみした感じ。コンクリートの亀裂。ポスターを剥がし痕跡。まるで、キャンバスに描かれた前衛芸術を見ているようだ。


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しかも、夜になるとネオンが、まさしくゴールデンに光り輝く。心もゴールデンになっていく。今どき、ゴールデンという響きも新鮮だ。


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特に懐古趣味があるわけではないけれど、なぜ、レトロがこんなに心に響くのだろう?それは、今より人々が親密で同じ価値観を共有しているため、お互いの理解が容易で相互扶助の考え方があったからと言われている。


現代の社会でそのような心の温もりを忘れ去られたことに憂いて、人々は今とは違う古き良き時代を求めるのではないだろうか?そういえば、昔懐かしい人に出会うと心の拠り所になるよね。


若ければいいというわけではない。僕たちの年代だって、老いぼれても心の中はゴールデンなのだ!!




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:10 | コメント (12)

負のスパイラル

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何をやってもダメな時ってないだろうか?


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若いスタッフを見ていると、気の毒になるくらい何をやってもダメな時ってあるよね。これを僕は負のスパイラルと呼んでいる。ダメな時はダメなのさ!そんな時は、この螺旋階段のように一番下まで降りてみるといい。もうこれ以上、降りるところなんかないから。一番下に降りて上を見上げてごらん。きっと希望が沸いてくるよ。


今度は階段を1段1段踏みしめて登っていけばいいんだよ。一気に最上階へ登りつめることはできないかもしれないけれど、1段は確実に登ることができる。1段登ることができたら、次の日に2段目に片足をのせればいい。そう、次は片足に重心をかけてもう片方の足を3段目にのせればいい。成長とは、1段1段登っていくことなんだ。今、負のスパイラルに陥っているのは、目の前の1段を大切にしていないから全てが空回りしているんだよ。


自分の成長のスピードがあまりにも遅くて不安になるかもしれないけど、焦ることなんかない。誰もがそうだったんだ。偉そうにしている先輩達も巨匠といわれている人達もみ〜んな最初は新人だったんだ。苦しい時、それを思い出せばきっと気持ちが楽になるよ。


暗闇の中で出口が見える時というのは、ある日突然やってくるものなんだ。
それには、毎日の1段を大切にすることが絶対条件だけどね。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:45 | コメント (4)

レンガ作りのレストラン

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古い写真を整理していたらこんなのが出てきた。


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これは、今から30年前、札幌へ帰省したときの写真。絵を描くためのスナップ用に一眼レフカメラを買った。気がついたら、暗室道具が全部揃っていた。


中野のボロアパートで、夏はエアコンもなく部屋の中は40℃近くになった。その中で現像液は20℃に保たなくてはならなく、現像バッドに氷とアイスノンを入れてパンツ一枚で汗だくになり現像した。


写真のことは何もわからなかったけど、シャッターを切ると写るというだけで喜んでいた時期。帰省の度にひとりでカメラを持って歩き回った。これは一体どこだったのか思い出せない。


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札幌のすすきのか狸小路をどこか東の方へ歩いて行ったような気がする。この風景好きだなあ。ジョン・レノンのロックン・ロールというアルバムジャケットみたいで。ここでジョンのように革ジャンを着て立ってみたい。


誰か教えて!そこの同級生!同級生という響きにどんなにか憧れたことか。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:50 | コメント (10)

大倉山シャンツェ

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1972年、冬季オリンピック札幌大会、90m級ジャンプの競技場へ行ってみた。


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当時、僕はまだ小学5、6年生くらいだった。札幌オリンピックで70m級ジャンプと90m級ジャンプに日本中が沸いた。北海道から出たことがなかったので、地元だけ盛り上がっていたのかどうか、実際にはそこのところはわからない。


70m級ジャンプでは、笠谷、金野、青地の3選手が金、銀、銅を独占。前年のプレオリンピックでは日本人選手など話題にものぼっていなかったから、あのときは日本中が熱狂した。この快挙以来、家では押し入れの中段から笠谷選手のクラウチングポーズを取って、シュワッと踏み切り、空中飛行をして敷き詰めたマットレスの上へ飛び降りる遊びに何度も熱中した。


70m級ジャンプの活躍に90m級もやってくれるだろうと思っていたけれど、残念ながら記録は振るわなかった。笠谷選手のスタート時に風が安定しなく、ゴーサインがなかなか出なかったのだ。テレビで見ていても笠谷選手のいらいらが頂点に達しているのがわかった。国民の期待を一身に背負って。スタートを切ったときにはもうすでに集中力が途切れていたように見えた。


オリンピックが終わって、各競技場が一般市民に解放されたので、真駒内アイスアリーナ、美香保スケートリンクでスケートをした。ジャンプ台も見たくて、70m級の宮の森ジャンプ競技場は一般公開されていたので行った。当時はスタートラインまで立つことができた。なぜか、90m級大倉山シャンツェは立ち入り禁止で下から見上げることしかできなかった。


今回、同級生に連れて行ってもらい、観光名所になった大倉山シャンツェを初めてのぼって見下ろしてみると、あの下に見える観客席から歓声が聞こえてくるようだった。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:29 | コメント (10)

もうひとつのルーツ

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小学校の頃、6年間を札幌で過ごした。


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なぜか、今になって小学校を訪ねてみたくなった。僕が通っていた和光小学校を同級生に連れられて訪ねてみた。

あの頃、60年代後半、高度成長期で札幌も活気づいていた。まだ、札幌市内にも牧場があり、同級生の友達にも農家の子がたくさんいた。あちらこちらにサイロもあった。学校帰りに搾りたての牛乳を飲ませてもらった。


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僕が住んでいたところは、北30条西3丁目。まだ、舗装道路もなく交通手段は路面電車だった。砂利道に馬車なんか通っていて馬糞なんかも落ちていた。
下水道も整備されていなくて、沿道には大きなドブがあった。


ある時、犬の散歩で自転車を乗っていたら、急に走り出した犬に引っ張られ、よたよたしてしまってそのまま頭からドブに落ちた。泣きながら家に帰ったら、おふくろに外に放り出されて、ホースで水をかけられた。


それが、札幌オリンピックの開催が決まった数年前から激変した。地下鉄工事に舗装道路。札幌と小樽を結ぶ札樽バイパスの工事が始まった。開通前のだだっ広いアスファルトの道路をみんなで自転車に乗って競争した。


モノクロの写真は、30年以上も前に撮影した札幌の写真。
どこか記憶がないけれど、僕の住んでいたところにもこんなサイロがあった。
小学校はもっと巨大に感じたけど、意外と小さかった。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:41 | コメント (12)

札幌から新年

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みなさま、新年明けましておめでとうございます。


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僕は、札幌で新年を迎えました。
なんだか東京タワーに似ているけれど、
これは、札幌のテレビ塔というものです。


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大通り公園の夜景も撮ってみました。
取り急ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。

本年も宜しく、お願いいたします。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:53 | コメント (20)

50

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東京タワーは、50歳を迎えた。


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クリスマスイヴの夜、僕は天空から星空を散りばめたような東京の夜景を眺めた。みんなでケーキとシャンパンでほんのひとときクリスマスを祝った。


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連日の仕事の疲れか、僕はちょっとほろ酔い気分。現実と妄想の狭間で、なんだか幸せな気分になった。こうやって見ると、東京も悪くはない。北海道で生まれ育って18年。東京に住んで31年が経つ。ジョンとヨーコのHappy Xmas(War is Over)を聞きながら、想いを馳せる。この曲を聴いていると、愛とは何かを考えさせる。詩の一節を紹介しよう。

   今宵はクリスマス。
   また、1年が過ぎ去って、新しい年が始まる今、
   君の心に残る思い出は何?
   今宵はクリスマス。
   近しい人達、愛しい人達、老いた人達、若い人達、メリークリスマス。
   そして、ハッピーニューイヤー。
   何の迷いもなく、今年もよい年であることを祈ろう!
 
   今宵はクリスマス。
   弱い人達、強い人達、金持ちの人達、貧しい人達。
   世界はこれでいいとは思わないが、ともかくハッピークリスマス。
   肌の黒い人達、白い人達、黄色い人達、赤い人達。
   さあ、この辺で争いはやめようじゃないか…


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僕は、来年50歳を迎える。どんな年になるのだろう。僕が想い描いたことは、ほとんどが実現する。きっと、もっと幸せになるに違いない。

僕のアイデンティティー、北へ向かってHappy Xmas!
そして、世界中の人々の幸せを願って、Happy Xmas!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:58 | コメント (10)

妖精ミュー伝説

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早朝、夢を見た。
出口の見えない森の中で漆黒の愛馬ロメオに乗って、
僕は霧に包まれた森の中を彷徨っていた。


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舞台は中世のヨーロッパ。僕は、黒いマントを着た騎士だった。この国をさらに平和にするために、王から言付かった宮廷魔術師メイベリンは、ミントグリーンに発光する妖精ミューを探して連れてくるよう、僕に命じる。


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妖精ミューはあまりにも小さいので、後世、ミクロンを表すμという記号になる。(これは、夢の中の話だけど)その位、妖精ミューは小さくて人の目にはつきにくいらしい。噂によると、妖精ミューと出会って心が通じ合った時、ミントグリーンに発光し、周りを至福の輝きで人々を包み込むという。


妖精ミューに出会った人は、その後、輝きのある幸福な人生へと導いてくれる。権威や物欲を超えたところに幸福があると信じていた国王は、妖精ミューを人々に会わせることで、なにか大切なものを国民に気付かせようとした。


僕は、何十年もの月日をかけて、妖精ミューを探し出す旅に出る。旅の途中、多くの妖精と出会い恋に落ちる。その度にいつも妖精を弄び、僕は旅の疲れからか、騎士道を忘れ心が荒んでいった。


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30数年が経っただろうか。彷徨える森の中で妖精達が群れをなしていた。その中に一筋の光を見た。それは、あの伝説のミントグリーンに光り輝く妖精ミューだった。僕は、胸の高鳴りを押さえることができなかった。妖精ミューは僕の頭上高くに浮遊し、一向に近づける気配がない。


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「どうか、お願いだから、僕の手の平に舞い降りて来てくれないか」と僕は言った。妖精ミューは、人間の周波数に合わせたテレパシーで、「あなたのかっこつけたところが嫌!」と言った。僕は、高価な黒いマントを脱ぎ捨て、愛馬ロメオを森の中に逃がした。その光は、あまりにも眩しくて、妖精ミューの姿をこの目で見ることができなかった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:30 | コメント (6)

緊張感

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Kさんと筑波山へ登った。


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優しい山と言われて、なめてかかったら大変な山だった。僕は、根本的にアウトドア派ではないのである。アウトドアに憧れているけれど…途中で「弁慶の七戻り」という岩に遭遇した。ここには、両側の二つの岩に2点だけかろうじて留まっている、今にも崩れそうな岩があった。


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弁慶ほどの豪傑でも、この今にも崩れ落ちそうな岩をくぐろうとして、7回も行ったり来たりして躊躇したそうだ。現実世界にもこのように、「賭けにでようかな」、「どうしようかな」なんてこともあるよね。


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もしもだよ、6回躊躇して7回目が大丈夫だなんて思って崩れ落ちてきたらどうするんだろう?まるで、ルシアンルーレットのように、どきどきするなあ。


弁慶でも7回も戻ったのだから、蚤の心臓の僕などは、どれだけビビるかと思ったけど、そうでもなかった。でも、下から見上げた感じがすごかったよ。(真ん中の写真)これが、何百年も弁慶の時代から落ちていないとわかっているから安心できるけど、初めてみた弁慶もビビったんだろうね。


デザインでは、このアンバランスを緊張感なんて言ったりもする。僕は、どうしてもこのアンバランスなものに惹かれてしまうのだな。人間の魅力もそうだけど…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:25 | コメント (8)

弱さはつねに過激である

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スチール製のフォンタナの絵を見つけた。


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フォンタナといえば、白いキョンバスをナイフ切り裂いた、究極のミニマムアートが有名だ。ナイフという、一歩間違えば人の命さえ奪ってしまう凶器に、切り裂かれた白いキャンバスはどこか繊細で脆さを感じてしまう。ナイフを振りかざす時に、スッという音が聞こえてくるようでもある。


それに較べ、この絵は鉄板を鋼鉄のナイフで切り裂いた痛々しい絵である。本当は、ナイフという凶器を美化した白いキャンバスよりも、この鉄板を切り裂いた表現の方が、人間の本来持っている原始の感覚をうまく表しているのではないだろう?


この絵と対峙した時、顔で笑っていても自分の内面を見透かされたような感覚におそわれた。「人のためだ、世のためだ」といっていながら、実はジェラシーで、はらわたが煮えくり返りそうな時がある。


フォンタナが目指したのは、原初の人間がもつ不可解な感覚である。何か自分では理解不可能なことに直面した時、音楽的な感覚、リズムの感覚、それらの条件を発展させていくことが目的だそうである。


現代社会においても頭では分かっているけど、心の底からメラメラゴーーーー、と何かに突き動かされることが誰にでもあるに違いない。理性ではなんとか押さえ込もうとしても、どうにもならない。それが太古から持っている人間の感覚なのであろうか。


この絵の切り裂かれた部分は、人間の心臓をえぐり出そうとでもしているはずなのに、どこか感情がリズムとハーモニーを奏でているとでもいいたげな表情だった。僕自身、思慮深い大人のつもりであったが、実は原始の人々となんら変わらない感覚も持ち合わせいる自分に正直驚いた。松岡正剛の「弱さはつねに過激である」という言葉がぴったりである。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:27 | コメント (6)

アイデンティティー

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同窓会に出席してから、自分を見つめ直す機会が多くなった。


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30年間、ただひたすら前を見て走ってきた。故郷を懐かしんでいるようじゃ、考えがぬるいと自分に言い聞かせてきた。でも、気がついたら人生の折り返し地点をとっくに過ぎていた。フルマラソンで例えるなら、給水を取らなければならない時期なのかもしれない。


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2年前、札幌へ帰省した時、どうしても自分のルーツが気になり、車で石狩湾から北上して雄冬まで行った。もうちょっとで、留萌へ辿り着くところだったが、行く勇気がなかった。何を恐れていたのだろう。ちやほやされたかったのだろうか?自分が頑張ったことを認めてほしかったのだろうか?いや、まだ早いとでも思ったのだろうか?


よく考えれば、どんな人だってみんな苦労をともにして歳を重ねてくる。自分だけではないのだ。みんなに会って、やっと分かった。誰も口には出さないけど、笑顔で笑い飛ばし、何事もなかったように、いにしえの記憶を手繰り合う。つらいことは、忘れよう!ただ、それだけでいいではないか?


その時、雄冬で撮影した2枚の写真。ちょうど、季節は今頃だった。1枚目は、曇り空の寒々しい北国の日本海。何か空虚な感じがした。それが、どうしたとでも言いたげなふてぶてしい海。昔の自分を見ているようだ。


2枚目は、三脚に中判カメラを取り付け、しばらくアングルを探っていると、雲の隙間から光が差してきた写真。あまり、深刻に考えるなよ!とでも言いたげに。昔のみんなに会って、気がついたら馬鹿話をしている今の自分がいた。イタリア、ルネッサンス期の絵画のような御来光だった。


どんなに都会人ぶっても、北国の素朴な自分を打ち消すことはできない。歳はただ、呆然と取るものではなく、様々な困難を乗り越え、重ねていくものである。この陰と陽が、誰もが持っているアイデンティティーなのだ。僕は、何か大切なものを忘れていたような気がする。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:52 | コメント (12)

タイムスリップ

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留萌高校の同窓会へ、札幌まで「故郷に錦を飾り」に行ってきた。
まるで、ビデオの巻き戻しのようにキュルキュルキュルーーッ!という
音とともに過去へ遡った出来事だった。


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1ヶ月前、親友Sから「おまえと同窓会に出席するために北海道へ一緒に帰る」と連絡があった。僕は、「ウチには、通知が来ていないのでおれは行かない」と言っていたのだが、ある日、FAXが流れてきたので行くことにした。どうやら、僕は行方不明者になっていたらしい。


会場に着くまで、ドキドキしたなあ。みんなに忘れさられていたらどうしよう。がむしゃら仕事に明け暮れた30年だったから。親友Sから、携帯に連絡が入り、「おれ、もう待ちきれない。どこかで待ち合わせしようぜ!」「おれも、もう待てないよ!」


最初の一言は、なんて挨拶するのだろう。もう大人だからね。な〜んて、余計な心配したりして。『あっ、大変ご無沙汰しております。覚えていらっしゃいますでしょうか?ワ・タ・ク・シ・・・』と、大人っぽく深々とお辞儀をして名刺を差し出すのかな。親友Sから、「名刺を2箱持って来い!」と言われていたので言いつけを守った。マドンナに会えるかな?


ホテルのロビーで、最初にアッキ(バンドのドラム)に会う。「おおおおおおお!!!!!」僕は、いきなり何を思ったか「おれさあ、去年、ギター買ったんだよ」何もいきなり、そんな話をしなくてもいいのに。その後は、会場へ近づくごとに、ハグ、「おおおおおおお!!!!!きゃあ、わーー!」のけぞりの連続。


僕のクラスのテーブルには、大人のレディが2人座っていた。軽く大人の挨拶をして、過去の記憶を手繰り寄せていると、向こう隣の女性がいきなり「シノハラって、馬鹿だったよね!」『えーーーーっ!!!!!開口一番、それはないだろ!』「あっ、おまえ、ケイかっ!」、「だから、言ってるだろ!」反対側の席にも大人のレディが2人席につき、「あ、シノハラ、久しぶり!」いきなり、きれいな大人のレディに呼び捨てにされて誰だっけ?あっ、副委員長のイックだ。「シノハラって、なんか変なやつでさあ、ぼーーっと漂っていたよね」とイックが言う。『なんだってーーー!』「女子の間では、いいって言う子と、なんか変って言う子と半々にわかれていたんだよ」『知らなかったーーー、ショック!』「いつもギターケース持ち歩き、何かバイクの絵を描いていたね」


そういえば、鞄の変わりにギターケースに教科書を入れて、肩まで髪を伸ばし通学していた。特にバイク好きだったわけではないが、メカニックな何かに惹かれて、描いていたのだと思う。両隣に大人のレディが座っていたので、すっかり気取っていたら、段々と話している相手の顔の向こう側に、うっすらぼんやりとあの当時の顔が浮かび上がってきた。


ケイ(魔女)、のぞ(テニス部)、イック(副委員長いつもニコニコ)、ハセちゃん(八千草薫似)、エコちゃん(清純系)、ガワちゃん(バンドのベース)、ミズノ(指揮者)、ミヤケ(下宿でモクモク)、ベッちゃん(学級委員長)、マツモトーーーー!(淑女)、チョウナンーーー!(膝を叩き合った変態女)、テンコーーーー!(大笑い女)、ニシダ(ドラム)、コマタ(コマシ)、ヒロシ(ベース)、その他ちょっとしか話せなかったみんな元気そうだね。当時は、「好き」って言えなかった人に会えたり...


高2の時、クラス全員停学になって、新聞に載ったね。男は全員、護送車に乗せられて、鉄格子を握りしめ、見送るクラスの女の子達に手を振った。警察署に着くと、それぞれの親が真っ青な顔をして迎えに来ている。僕たちは、酒を飲んで大暴れしていたのだ。急に酔いが醒め、お巡りさんが「バケツに吐きなさい」と言うので、顔を近づけると、先に誰かの○○がたっぷりと…それを見て、さらに気持ち悪くなる…今では、もう「そんなこともあったね」と思い出に浸る。(もう、時効だよね)


5件目まで行ったころには、男3人女3人になっていたけど、気がついたら朝方4時をすっかり回っていた。北海道の深夜は、さすがに肌寒かった。アッキが、「おまえ遠くから、遥々来たのだから、何食べたい?」というので、「北海道人らしくジンギスカンが食べたい」と僕は言った。こんな朝方に開いている店はないと思ったけど、ススキノにはあるんだな。


あの頃、誰かの家に集まっては酒を飲んでタバコを吸ったよね。「おまえ、何吸っていたんだっけ?」「おれ、ショップ(ショートホープ)!」「おれ、ハイライト!」「おれ、チェリー!」、これも時効です。許してください。今では1本も吸いませんから。みんなでさらにビールを飲みながら、「おいしいね!おいしいね!」と言って別れた。


最初は、気乗りせず、当社スタッフに「社長!人脈作りですよ!」と言われて、渋々出席したけど、みんなと会ったらそんなことどうでも良くなってしまった。
ああ、青春!書ききれない。今回は、改めて僕自身のアイデンティティーを認識する旅となった。いつもこのブログを読んでいただいているみなさん、私事ですみません!しばらくは、興奮して何かに定着しないと落ち着かないのです。


いやーー、30年だよ。めちゃくちゃ楽しかったよ。また、会おうね。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:34 | コメント (14)

バランス

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アンティークショップで買った、アンバランスな天秤。


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デザイナーほど、バランスという言葉を毎日のように使ったり考えたりする職業は、ほかにはないのではないだろうか?スタッフが仕上げてきたデザインを「ここのバランスが…」「色のバランスが…」「レイアウトのバランスが…」と毎日のように使う。そもそもバランスとは何だ?


広辞苑によると、バランスとは「つりあい」、「均衡」を意味するのだそうだ。研究社英和辞典によると「天秤」「はかり」「釣り合い」「平均」「調和」「均整(美)」「(心の)平静」「落ち着き」だそうだ。


バランスを取るだけが、良いデザインだとは思わない。時には敢えてバランスを崩すことで、アグレッシブな表現になったりする。逆にあまりにもバランスを取り過ぎて、退屈なものになってしまったりすることもある。ちょっと、崩すというところがバッドチューニング。完全にチューニングがくるっているのではなく、ちょっとずらす。すると、ほんのちょっと、刺激的になるんだな。あくまでもバランス感覚を知った上でのことだけど。


これは人間関係にも当てはまるのではないだろうか?お互いが尊敬して、刺激を与え合う。でも、あまりにも気を使い過ぎてバランスを取り過ぎているとつまらない関係になってしまう。「やれやれ、手のかかるやつだ」と思いながら、他では何か刺激をもらっている、なんていうくらいがいいのかもしれない。たまには、反対意見を言ってくれる野党も必要なのだ。


男女の関係だって、同じでしょ?相手があまりにもおりこうさんすぎると、つまらないよね。僕は、外見だけではなく、自分の世界を持っていて内面から輝いている人に魅力を感じる。ちょっと、ダメなところがあるくらいがチャーミングなんだ。そして、髪を振り乱して、何かにひた向きに取組んでいる人は素敵だ。この天秤のように、アンバランスなくらいがちょうどいい。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 11:23 | コメント (18)

夢と希望

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夢と希望をヴィジュアルで表現してみた。


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ウソです。本当は、プレゼン用に加工するために撮影した写真です。でも、これを見ていると夢と希望が湧いてくる。ちょっと臭い言葉だけど、本当です。


これは、キャンドルスタンド。毎晩遅くまで働いているスタッフ達と、夜食を食べる時にキャンドルを灯す。仕事を離れて、年齢を超えて、立場を超えて、性別を超えて、いろいろなことを語り合う時間が、実は楽しい。それは、みんな、どんなに忙しくても愚痴をこぼさず明るく元気だからだ。


そして、みんなで力を合わせて、ヴィジュアルを作り上げていく作業はとてもスリリングだ。僕自身、考えていなかったことを、当社スタッフはヴィジュアルをこねくり回して発展させてくれる。その時は、僕はうまくいくことを願って静観している。まるで、陸上競技の400mリレーのように。


同じゴールを目指して、次の走者にバトンを渡す、そんな気分だ。勝つか負けるかわからない。でも、チームの力を信じて突き進む。その信頼関係を築くには、普段から人間関係を築いていないとできることではない。


アメリカの哲学者、ジョン・デューイの民主主義論にこんな言葉がある。


   人種、性別、信条の違いを超えて、
   対話ができるようになること。
   民主主義こそが、人々に繁栄をもたらすこと。
   どんなことでも少数の人ではなりにくいもの。
   多くの人が助け合ってこそ成功する。
   人の利益を己の利益とし、
   人の損を自分の損だとする。
   そして、互いを信用すること。
   そうすれば、必ず繁栄の日がやってくる。


苦境に立たされたら、この言葉を思い出そう!必ず、道は開ける。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:59 | コメント (8)

点・線・面

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プレゼンの準備中、エモーショナルな映像とはどんなものか、当社スタッフと議論した。


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これは、あくまでもケーススタディであるが、カンデンスキーの「点・線・面」の法則に従って、まずは、「点」を感じさせる光を撮影。ただの固い点ではエモーショナルではない。ブレがあったりボケがあったり、心の情感に触れるものでなければならない。しかも、シャープ過ぎず、ノイズを感じさせるくらいの方がいい。


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次にその「点」を縦に動かし、「点」から「線」を表現してみた。エモーショナルであるためには、シャープな「線」は避けた。点滅しているイルミネーションを縦にブレさせると、柔らかくて情感たっぷりの「線」が出来上がった。僕は、スタッフと一緒に感動のあまり、二人ではしゃぎまくった。まだまだ、こんなもので感動していてはいけない。もっと高度なところで感情を突き動かさなければ。なぜなら、僕たちはプロであるから…


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その次のテーマは、「面」。イルミネーションが束になっている「点」の集合を動かし「線」を作り上げていく。その「線」を」さらに大きなうねりを感じさせることで、「面」が生まれた。この光の「線」が、束になってシンフォニーを奏でる。優雅に、しかも大胆に、時にはスピード感たっぷりに。


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グラフィックデザインの多くは、コンセプトを必要とする。それは、ファインアートのコンセプトと違い、多くの人を説得しなければならないからだ。でも、心の奥底にある魂を揺さぶる映像は、理屈を抜きにしたところにある。時には、こんなエモーショナルグラフィクもいいものだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:40 | コメント (6)

朽ちていくモノ

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鉄さびを観察するために山へ行った。


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鉄は錆びていく程、味が出る。ピカピカのモノでなければいけない時もあれば、錆びやペンキの剥がれがとてもいい味をだすこともある。僕はどちらかというと、新しいモノ好きだった。でも、全部がピカピカだと落ち着かなくなってくる。


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完璧なモノよりもどこか儚さや脆さを感じるモノの方が、愛おしくなってくるのかもしれない。


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レディの鉄は言った。「なぜ、ピカピカでなくてはいけないの?」
ダンディな鉄は、それに応える。「それは、鉄のように逞しいモノは、未来を見て輝いていなければならないからだ」
レディは言った。「でも、使い古されて朽ちていくモノには、物語があるわ」


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僕は、男なのだろうか?女なのだろうか?気持ちは男である。と、思う。「えーーー!自信ないのかよ、おまえ!」と言われそうだが、最近、正直言ってよくわからない。一般的な男性よりもきれいなモノに反応するらしく、よく「女性的ですね」と女性に言われる。う〜ん、武士の精神のはずなんだが。


大きくて逞しくて、権力の象徴みたいなモノより、きれいなモノ、儚いモノ、物語性を感じるモノに魅力を感じる。チューニングはちょっとずれているくらいの方が魅力的だ。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:01 | コメント (8)

ある夏の日のトランプ

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夏らしい夏も体験しないうちに、夏が終わってしまう。


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ある日、毎日、夜遅くまで仕事をしているスタッフに、僕は「夜食にスイカを食べたい!」と、言った。「事務所の中で、スイカ割りをしよう!」と言うと、みんなは、「いいですねーーー!」と…Tは、すかさず、「私、波の効果音やります」と言う。さすがにやらなかったけど…


でも、仕事ばかりじゃ、みんなの青春が台無しだ。思わず、僕は、「トランプやりたい」と、つぶやく。きっと、あのヘルシンキの公園で、短い夏を楽しんでいるトランプの女の子を思い浮かべたのだろう。


食後のちょっとした30分位の息抜きのつもりが、1時間になり、2時間になり、3時間になり、4時間になり、電車がなくなるまでヒートアップしてしまった。そのうち、「勝った」「負けた」と、絶叫とともに、外では、まるで効果音のように雷が鳴り、負け方がおかしいだの、勝負どころでずるいだの、お腹がねじれるくらい、みんな笑った。


ババ抜きでは、必ず最後は、北海道出身の僕と、愛媛出身のTの二人が残り、ジョーカーの抜き合いなってしまう。二人ともカードを2枚しか持っていないのに、何度も何度もジョーカーをひいてしまう。お互い、地方出身者のサガなのか、目がカードを見つめているので、すぐばれてしまう。


それを見ていた都会育ちのITは、毎回、勝っているのに、悔しがる。なぜだ?勝っているからうれしいはずなのに、毎回、ジョーカーを引き合っている駆け引きができない、僕達を羨ましがっているのだ。


ゲームは、負ける方が楽しい事もあるようだ。仕事では、いつも厳しい要求をつきつける僕だけど、仕事を離れてボーダーレスになることがあってもいい。僕は、特別偉いわけではないのだから。失敗もするし、負けもする。若いスタッフとなんら変わらない。ただ、みんなより、多くの経験を積んできたというだけ。さてとっ!今日は、トランプ誘われてもやらないぞ!




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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:32 | コメント (2)

まるで、ブルーベルベットのような

写真

秋川渓谷で見つけた、ミステリアスな青い世界。


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渓谷の風景写真を撮っていても、ちっとも面白くない。僕が、撮らなくても誰かが撮るような写真は撮りたくないと思った。デザインのメソッドに従って、どんどん削ぎ落としていくと、気がついたら膝まで川に浸かり、水面ぎりぎりのところまでレンズを近づけていた。


渓流釣りをしていた、見知らぬおじさんが近づいてくる。嫌な予感…「何かいるんですか?」とレンズを向けている方を僕の顔の横で覗き込む。僕は、心の中で『水面の表情を狙って、シャッターチャンスを待っているのだ。邪魔をしないでくれ!』と、言いたいところをぐっとこらえ、「いえっ!」とつぶやくのが精一杯だった。


おじさんは、不思議そうな顔をして通り過ぎる。やっと心を集中できる。きたーーーーーっ!この瞬間。まるで、ブルーベルベットみたい。都会では、真夏の太陽が燦々と照り返しているというのに、この谷間では日陰が青白い光を放ち、水の流れがベルベットのような光沢感を醸し出す。


僕は、青が好きだ。職業柄、時には、赤も緑も黄色も好きになる。だけど、青は特別だ。ダイヤを散りばめた夜空のように…時には、ネオ船長が人間世界に絶望し、パラダイスを求めて深海へと旅経って行ったように。どこまでも、どこまでも、宇宙の果てまでも続く、深〜い、深〜い色。この色には、果てなんかないような気がする。僕の心に輝き続け、未知なる永遠を感じさせるところが、好きなのかもしれない。


ボビー・ヴィントンの「ブルー・ベルベット」が、この青のようにどこまでも透き通った声で、僕の頭の中で鳴り響く。いつしか、僕は、妄想に駆られ、ブルーベルベットのドレスを着た女性に恋をする。『もしよかったら、僕と踊りませんか?』(今どき、くっさ〜〜〜〜っっ!)



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:20 | コメント (10)

子供は子供だったころ…

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僕は、この一枚の写真を手に取る度に、映画「ベルリン・天使の詩」の
全編に流れる、囁くような詩を思い出す。


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子供は子供だったころ、腕をブラブラさせ
小川は川になれ、川は河になれ、水たまりは海になれと思った。

子供は子供だったころ、自分が子供とは知らず、
すべてに魂があり、魂はひとつと思った。

子供は子供だったころ、一度よその家で目覚めた。
昔はたくさんの人が美しく見えた。今はそう見えたら僥倖。

昔ははっきりと天国が見えた。
今はぼんやりと予感するだけ。
昔は虚無など考えなかった。
今は虚無に怯える。

子供は子供だったころ、遊びに熱中した。
今は、その熱中は、自分の仕事に追われるときだけ。

子供は子供だったころ、ブルーベリーがいっぱい降ってきた。
山に登る度にもっと高い山にあこがれ、
町に行く度にもっと大きな町にあこがれた。
やたらと人見知りをした。今も人見知り。

子供は子供だったころ、木をめがけて槍投げをした。
ささった槍は今も揺れている。

「ベルリン・天使の詩」より



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:39 | コメント (2)

フィルターを通す

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なぞのおじさん、ムッシュ所有の茶漉し。


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いつの時代のものか判らないが、フランス製ヴィンテージ物らしい。


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日本でいうと急須である。でも、これには注ぎ口がない。もしかしたら、このまま飲むのかもしれない。茶葉を入れて、お湯を注ぐ。茶葉が充分に開いたら、葉っぱが溜まったフィルターを取り出し、お茶を飲むのだろう。


いらなくなった、茶葉は捨てることになるのだが、仕事柄、コンセプトワークにとても似ているように思う。仕事に取りかかるとき、真っ暗闇のトンネルの中で、出口が見つからずにもがいている時がある。でも、諦めずに時間の許す限りこのフィルターを通していると、だんだんと見えてくる。


そもそも、コンセプトとは一体何なのか?コンセプトの意味が分かっている方とは共通の言語を持ち合わせて議論が発展していくが、そうではない方とはどうも会話が噛み合ない。コンセプトにもいろいろなプロセスや最終到達点があるが、シンプルに考えると、この茶漉しのようなものだと思う。


最初の多くの情報を、乾燥した茶葉に例えるとすると、お湯はその情報に命を吹き込むようなもの。最後にフィルターを通って、いらない茶葉を削ぎ落とし、残ったエキスがおいしいお茶となる。このおいしい部分がコンセプトなのではないだろうか?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 02:11 | コメント (10)

時間よ、止まれ!

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なぞのおじさん、ムッシュ所有のアンティークカレンダー。


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それにしても、時間が経つのが早い!このカレンダーは、7月13日に撮影させてもらって、その日のブログにアップしようとしていたはずが、もう24日ではないか!

僕は、毎年、予言する。年が明けると、「今年は終わる」と。「明けまして、おめでとうございます」と言ったのは、つい最近のこと。ゴールデンウィーク頃には、「もう夏が来て、秋が来る」とも予言した。みんな笑っていたけど。

人は、言う。「あたりまえじゃないか!」と。でも、僕は、自分自身を戒めるためにもあっという間に秋がくるのだから、やるべきことをひとつひとつやっていく、ということを自分に言い聞かせているのである。

人間社会の時間感覚を「流れ」と表現するが、この時代の流れに逆らうことは、相当なエネルギーがいる。むしろ、ふわふわ流されながらも、自分の水路を切り開いていく方が懸命かもしれない。そもそも、その時間の流れにいる人間は、流れを知覚することはできないのではないだろうか?あとで、振り返って「そういえば、あの時、流れに乗っていた」とか。第三者が「あの人、流れに乗っているよね」というように感じるのである。

それにしても、もう、1年の半分以上が過ぎ去った。みなさん、ぼやぼやしていると、あっと言う間に師走ですよ。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:31 | コメント (18)

エレガントな空港

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フランスのシャルル・ド・ゴール空港は、とてもエレガントだと思う。


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僕はこの建築デザインが好きだ。この空港にカメラを向けながら、コンコルドに見える構図を探ってみた。今では、見ることのできないあのマッハ2で飛ぶ、夢の超音速旅客機である。1960年代も終わりの頃、この飛行機は話題になり、特に飛行機マニアでもない、まだ小学生だった僕の心をときめかせた。


エレガントというデザインには、反実用的な要因がつきまとう。このコンコルドは超音速で飛ぶため、ソニックブームという現象を引き起こす。これは、飛行機が音速を超えて飛行すると、衝撃波のエネルギーが地上に伝播し、地上の建物の窓ガラスが割れることもあるらしい。しかも、乗客定員が100名と少なく、燃費が悪く高運賃であった。


高度成長期の真っただ中の60年代は、飛行機に乗るということが、なんだかとてもステータスな感じがした。僕の父は、毎月のように、出張で飛行機に乗ってANAやJALのプレミアムグッズをお土産に片手に帰ってきた時は、うれしかったものだ。小学生だった僕は、まだ飛行機に乗ったことはなかったが、乗る時は、たぶん、お粧してブレザーに蝶ネクタイ、半ズボン姿で乗せられたことだったろう。ベレー帽なんて被せられた日にゃぁ、たまったもんじゃない。


今では、ラクジュアリーという言葉が流行っているが、このシャルル・ド・ゴール空港の曲線と繊細なラインは、エレガントという言葉にぴったりだ。エレガントという言葉は、カタカナにするとどこか気取って、歯が浮くような響きであるが、僕の解釈は、見る人々に優雅で穏やかさを与えるものだと思う。環境に優しいとは、なにもエコだけの問題だけではなく、相手に対して穏やかさを提供することであってもいいのではないか。世の中に優雅なデザインを増やしていけば、犯罪も減るのではないかと思うのだが。もっと、穏やかに、優雅に、そして、お互いを思いやろうではありませんか。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 19:38 | コメント (10)

また、一つ歳をとる

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6月に入って、僕は49歳の誕生日を迎えた。


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スタッフが、買ってきてくれたバースディケーキ。当社では、みんなの誕生日には、必ずケーキを買ってきて、どんなに忙しくても仕事を中断して、祝うことにしている。


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そして、1時間位、他愛のない話で盛り上がる。このひとときは、先輩も後輩もない。そもそも、先輩というのは偉いということではないのだ。人生の中で失敗もあり、成功もあり、さまざまな修羅場をくぐり抜けてきたたからこそ、後輩にそれをアドバイスすることができる。


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もしも、僕が、偉そうな口調になっているとしたら、そういうつもりではない。僕自身が、失敗の中から、多くのことを学んできたので、その失敗を未然に防ぐことを教えてあがることができたら、後輩達はもっと高度な次元へ、もっと早くステップアップできるだろう、と思う。


その中でも、僕が、いつも口うるさく言っていることは、真心だ。だから、ケーキにはうるさい。たかがケーキというかもしれないけど、毎回、本気で相手のことを思いやって買ってくるか、という気持ちが大切なのである。クリエイティブのスキルよりも、賞を取るテクニックよりも、クリエイターに取って一番大切なことだと思う。真心のない、クリエイターなんて、ただの横文字職業でしかない。


今回のケーキは、合格!みんな、毎日、毎日、夜遅くまで働いてくれて、ありがとう!みんなで、温泉行こうね!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:52 | コメント (20)

ローマの壁

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写真を整理していたら、ローマの壁の写真がでてきた。


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どんな人でも壁にぶつかることがないだろうか?僕は、壁にぶつかった時、必ず突破口があるはずだと、自分に言い聞かせている。そんな苦境に立たされた時を思い出して、壁をじっと見つめているのが好きだ。


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海外旅行へ行っても、観光名所よりも壁を見つめていることが多い。だから、友人たちに「どうだった?」と聞かれると、とても困る。どうやら、多くの人は、ありきたりの答えを期待しているようだから…


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壁にマクロレンズを向けて、シャッターを切っている僕に、現地の人は不思議そうに声をかけてくる。イタリア語は、分からなかったが「そこに何があるんだい?」とでも聞いているのだろう。

そこに何があるかって?僕にとっては、それは景色だ。コロッセオやトレヴィの泉よりも面白い。ずっと見つめていると、壁が壁ではなくなってくるのだ。こんなにもいろいろな表情があるではないか。そう思うと、どんな壁にぶつかっても乗り越えられるような気がするものである。

勝ち組、負け組という言葉を聞くけど、勝つというのは、誰に勝つのだろうか?他人に勝ったとしても何もいいことなんかありゃしない。そこに憎悪が生まれるだけだ。どんな難しいプロジェクトでも多くの場合、他人との共同作業が必要だ。一人一人が、自分の壁を乗り越えられた時、そのプロジェクトは威力を発揮するのではないだろうか?ローマの壁は、自分自身を高めてくれる、ずっしりと重い壁に見えてくる。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:51 | コメント (8)

桜と雑草

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地面に落ちた桜は、一体どこへいくのだろう?


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心地良い陽射しの日曜日、外へ出た。桜がハラハラと舞い降りてきた。地面の隙間から生えている雑草に向かって、何かを語りかけているようだ。

桜:私は、桜。上からずっとあなたのことを見ていたの。スズメが、茎をツンツンつっついてくれたので、私は降りてくることができたのよ。どうしても聞きたいことがあって…なぜ、あなたは、そんな狭いところに生えているの?

雑草:僕はこの世に生まれた時、種から芽を出そうとしたら、天辺がコンクリートの塊だったんだ。もう、ダメだと思ったよ。だけど、諦めずにかすかな光を見つけて横へ横へと伸びてきたら、地上への隙間を見つけた。どんな逆境にも諦めてはいけない。必ず突破口があるものだよ。僕は、ここから上を見上げて、君のことを見ていた。いつか、あんな高いところへ行ってみたいと。

桜:逞しいのね。あっ!

そこへ、酒屋の源さんが運転する軽トラックが走り抜けていき、桜はその風に飛ばされて、どこかへ行ってしまった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:35 | コメント (8)

桜の佇まい

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自宅を出て、通りを渡ると小石川植物園がある。


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小石川植物園の外壁に沿って、歩いてみた。そろそろ、桜が散るころだ。風に乗って、クルクルと風車のように回りながら落ちていく桜が麗しい。目の高さのコンクリート塀に、一輪の桜が舞い降りて静止した。まるで、僕の目の前に現れた妖精のように…

その数秒後、風に吹かれて塀のあちらへ行ってしまった。気まぐれな妖精が、人間をからかい、一瞬のうちに去っていってしまったようだ。

服を買うときもこんな現象がある。探し求めていた、ブラックレザーのライダーズジャケット。買うことを決意し、一瞬、頭を冷やすためにカフェでコーヒーを飲む。30分後、戦闘モードに切り替えて、「誰がなんと言おうと、絶対に買うぞ!」と思い、ショップに行ってみると、一瞬のうちに売り切れ。

僕は、衝動買いを自制するためにも一旦、時間をおいて考えることにしている。「それでなくなったら、それまでさっ!」と諦めることにしている。中途半端な物は買わない。本当に気にいってもその一瞬でなくなっていたら、それを所有する資格がないと思っている。商品自ら、「どうか、私をさらっていってください」と懇願されて、初めて買う価値があるのだ。


どうやら、この桜は僕のことを相手にしていなかったらしい…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:43 | コメント (2)

群れない

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満開の桜を見るのもいいが、幹にぽつんと咲いているのもいい。


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僕は子供の頃から、その他大勢の中に入るのが苦手だった。無理して孤立していたということでもない。むしろ、無理してその他大勢の中にとけ込んで、積極的に社交的に振る舞っていた方かもしれない。でも、一番心地良い時は、気の合う少人数の仲間と空気のように漂っている時だ。

僕は、「あまり人付き合いが得意ではない」と言うと、多くの人は、「そんな風には見えない」と言うが、それは意図的にそう見えないようにしているのかもしれない。でも、三つ子の魂百までも、そう簡単に変われるものではない。

今でも、こうしてひっそりと咲いている少数派の桜を見つけると、自分のことのようにときめいてしまうのだ。よ〜く分かるよ、この気持ち。その他大勢の桜満開大宴会に参加できないのだよね。パーティへ行っても、壁に寄り添って、おとなしくしているタイプ。多くの人達とアンテナの周波数が違うから、どうしても話が合わないのではないかとびくびくしてしまう。それが、一度、波長が合うと心の奥底まで曝け出してしまう。


「もっと、大人になれよ」と、もう一人の自分が言う。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 11:55 | コメント (8)

ミニマムな桜

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小石川播磨坂の桜並木は、今日も人でいっぱいだった。


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どこにカメラを向けても沢山の人とブルーシート。密かに自分だけの桜を観賞したくて、風景を切り取ってみた。この周りには花見で賑わっている人々がいる。満開の桜を写真に撮ると、なぜか感動がない。肉眼で見ていると桜並木の奥行きと荘厳さに圧倒されるのだが。

僕は、桜並木を行き交う人々が写らないように、ガードレールの上に登ってカメラを構えた。丁度、この写真の画面下あたりに人々の頭がある。ぎりぎり、頭が写らないようアングルを決めると、白い住宅の塀に写った桜の影がとてもきれいだった。

アーチ状に天を覆っている桜から、チョロっと飛び出た桜の一塊。その他大勢の桜から、ちょっとだけ自己主張をしているようにも見える。天の邪鬼な僕は、こんな桜もいいと思った。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:26 | コメント (14)

新春、雪の結晶

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朝起きると、今日の札幌は雪だった。


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昨日までの天気が嘘のようにしんしんと雪が降り続ける。庭の植栽には、真っ白な綿帽子がかぶっていた。しばらく庭に出ていると足下から冷えてきて、足が冷たい。何か雪景色の良い風景が撮れないものだろうかと粘るのだが、雪国で育った僕には、北国の雪景色は何の変哲のないものだった。し〜んとした朝の庭で、心の目を研ぎすましてみると見えてきた。葉っぱの上にはらりと降りた雪の天使。北国ではこれが日常だけど、雪になじみのない方々に雪の結晶をお届けします。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:20 | コメント (12)

立体の街、道頓堀極楽商店街

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大阪の看板のパワー、とにかくすごい!
道頓堀極楽商店街へ、一歩足を踏み入れた途端に僕はぶっ飛んだ!


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看板という看板が、みんな巨大で立体的だ。商店街を歩いていてもどの店も看板がせり出していて、自己主張している。日本人は、謙虚で厳かだったのではないのか?


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東京は、洗練なんて言っている場合じゃないよ〜っ!これじゃ、東京のお坊ちゃま達、完全に負けてしまっている。


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今回は、このビジュアルパワーがあれば解説なんかいらないです。


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僕は、明日から北海道へ。
みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。




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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:34 | コメント (12)

大阪から、メリークリスマス

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師走です。
久々の大阪出張だった。
道頓堀極楽商店街にある、グリコのサンタの前からメリークリスマス!


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今回、帰りの新幹線まで、ちょっと時間があったので、道頓堀川辺りを散策してみた。ここを初めて訪れたのは、10数年前。随分と様変わりしたものだ。グリコの看板も新しくなったみたい。通称ナンパ橋といわれる、えびす橋もきれいになった。というよりこんなだったっけ?


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大阪のパワーはすごい!東京、負けてる。広告デザインの仕事をしていて、洗練とか、美とか、クールという言葉をよく使うけれど、対局にあるパワーがここにはある。

何がすごいか、次回へとつづく…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:36 | コメント (6)

六本木ヒルズの万華鏡

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打ち合わせの帰りに六本木ヒルズへ行ってみた。


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メンズブティックがあるフロアは、ライトアップされたガラスの床材で上から覗くと、万華鏡にように見えた。


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すぐにカメラを取り出し写真を撮った。一体、どうなっているんだろう?肉眼でもう一度見てみる。数フロアが階段になっていて、途中の踊り場がライトの入ったガラスの床材になっているようだ。


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万華鏡は、1816年スコットランドの物理学者が、Kaleidoscopeという名前で特許を申請したようだ。この物理学者は、灯台の光をより遠くまで届かせる目的で、鏡をいろいろ組み合わせて試行錯誤しているうちに万華鏡ができちゃったようだ。語源は、ギリシャ語でKalos=美しい、Eidos=形、模様、Scope=見るもの、という意味の3つの単語を組み合わせた造語である。

万華鏡なんて、しばらく覗いていないなあ〜。しばらく、階段の手摺に身を乗り出して、うっとり見とれている僕であった。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:54 | コメント (2)

お菓子をくれなきゃ...

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川崎にあるLA CITTA DELLAへ、ハロウィンのイベントを観に行った。


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プレゼンテーションでご縁があり、この機会に仮装パレードを拝見して楽しませていただいた。とにかく、仮装がすごい!僕もやる時はやるので仮装していこうかと思ったけど、やっていたら負けていた。ハロウィンらしく、泣くも子も黙るくらい、怖いコスチュームでエントリーしている人達(悪魔達)がいっぱい。


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日本最大級とは聞いていたけれど、これほどすごい人達が集まるとは思わなかった。仮装の写真は許可を取っていないので掲載できないのが残念。パレードの風景写真にちょっと写っているので、ご覧下さい。でも、こんなもんじゃないよ。ほ〜んと、怖いんだから。「でも、写真を撮ってもいいですか?」と聞くと、怖い顔しているのに礼儀正しいところがおかしかった。


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LA CITTA DELLAは、丘の上の小さな街をイメージしていて、緩やかなスロープがあり、階段があり、アーチ状の天井をくぐり抜けると広場に出たりと、楽しみながら買い物をしたり、食事をしたり、映画を観たりすることができるエンターテイメントな街である。ここの丘の上には、チャペルもあり結婚式も挙げられる。

街自体がこじんまりしていて、程よい広さが気負わず手軽に楽しめる、とてもおしゃれな街であった。いよいよ、パレードの始まりだ!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:41 | コメント (14)

ワタシハ、データ

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ワタシハ、U.S.S.エンタープライズ号乗組員、データ少佐である。


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ピカード艦長の命令により、ZAPという小惑星の組織改革に取り組んでいる。ワタシハ、ヌニエン・スン博士によって作られたアンドロイドである。ポジトロニック・ブレインの能力は、記憶メモリー800京ビット、最大処理速度は1秒間に16兆ビットである。感情がないので、人間のように怒ったり、笑ったり、泣いたりすることに憧れる。人間の行動は不可解である。ワタシハ、いつも「なぜ?」と質問して周りの人間を困らせる。最近、ワタシハ、任意のタイミングでエモーショナルチップをオン、オフにできるように改良された。この惑星では、デザインという業務の中で、人間同士が感情的に声を荒げたり、口が尖ったり、電話を切るなりオフィスを飛び出していったりする光景を目撃した。人間の部下達を持ったワタシハ、人間達のコゴトと言われるコミュニケーションに付き合わされるが、まったく理解不能である。「時間がない」「プレゼンが通らない」「忙しい」「予算がないからできない」….だから、なんだというのだ。人間の間では、クライアントという神にも等しい絶対的なものが存在するらしい。ワタシハ、そのクライアントという存在に対して、軌道修正しながらオーダーに応えるようにプログラムされている。あまりにも「なぜ?」を繰り返し、まれにその神に近い存在から「もういいっ!」と、バッサリ切られることがある。人間の言う、コゴトというコミュニケーションに付き合わされる時、ワタシハ人間達にこのように命令する。「エモーショナルチップをオフにしろ!」ワタシノ命令に対して、人間達は大きな声で笑い転げる。人間達には、エモーショナルチップが組み込まれていないらしい。ワタシハ、首をクッとねじ曲げて、自ら解除する方法をやってみせた。途端にエモーショナルチップがオンになり、ワタシジシン、なんだか目がつりあがったり、無口になったり、口から「チッ!」などという音声などが飛び出して、驚いた。これが驚くという感情のようである。今は、人間の勧めにより、「フランダースの犬」という物語を読んで涙を流すトレーニングをしている。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:15 | コメント (12)

天空に舞う、青い炎

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ITと打合せの帰りに、銀座アンリ・シャルパンティエへ寄った。


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僕は、ベークド・アラスカをオーダーした。これは、谷崎潤一郎の「細雪」にも登場した別名『炎のアイス』と言われるもの。アイスクリームをピラミッド型のメレンゲですっぽりと包んだスイーツが、ワゴンで運ばれてきた。ブランデーでフランベすると青い炎が、ボッォと天高く舞う。


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デザートは、食後に食べるもので、追加という意味である。でも、これは最初からオーダーしているので、スイーツと言った方が良いのだろうか?イギリスでは、庶民の間でデザートとはあまり言わないらしい。スイーツかプディングと言うらしいけど、イギリス在住の方、本当ですか?

それにしても、ベークド(baked)は、「焼いた」であるけど、アラスカはなんだろう?アイスの冷たいを意味しているのかな?ノルウェーでは、オムレット・ノルベジェンヌ(ノルウェー風オムレツ)と言うらしい。

もう一つの謎は、なぜピラミッド型なのか?ベークドピラミッドでもいいのではないか?ベークドファラオでもいいかもしれない?でも、それでは、冷たさが表現されていない。ベークド北海道なんていうのはどうだろう?何?ダサイ?たしかに!では、ベークドフィンランドなんていうのはどう?

ああ、これも職業病だろうか?すぐ、なぜだろう?と考えてしまう。何も考えずに美味しくいただくということも大切かもしれない。ただ、そこにベークド・アラスカがあったから…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:52 | コメント (18)

台風のあと

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台風9号が、過ぎ去った。
オフィスの窓から見た夕焼けは、とても鮮やかだった。


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そもそも台風とは?台風の生まれやすいところは、太陽光をたくさん浴びた暖かい海である。北からの風と南からの風がぶつかり合う。その暖かい海からは、水蒸気がたくさん生まれて、お風呂から湯気が上がっているようなものだ。(へぇ〜〜!)

この暖かい海から生まれた水蒸気は、上昇気流に乗ってどんどん上へ昇っていく。上に昇った水蒸気は冷えて雲となる。その雲が、もっと早く回転し、多くの水蒸気を吸って、さらに大きくなる。そして、風の強さが、秒速17メートル以上になると、台風と呼ばれる。(そうなんだぁ〜)

それにしても、台風が過ぎ去った後の夕焼けって、どうしてこんなにきれいなのだろう。それは、台風に風が吸い寄せられ、空気中の不純物が少なくなって、夕焼けがきれいになるから。(ふ〜ん)

さらに、いろいろな条件が揃わなければならない。粒ぞろいの微粒子によりできた雲が、晴れた日に、上空高くにあること。この小さな雲を、乱されにくい赤色の光が通過し、地表に届くことで真っ赤な夕焼けを生み出す。(ほ〜!)

台風一過の風により、不純物が大気中から取り除かれて、クリアな視界が、鮮やかな夕焼けを作り出す。また、赤い光が夕闇の暗部へと移り行く光のコントラストが、より幻想的な情景を醸し出すのである。(試験に出るぞ〜〜!)


台風一過のバッドチューニングだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 11:13 | コメント (12)

太陽と風

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リサーチ途中、Nとカフェ風海の家へと足を運んだ。


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海の家もずいぶんと様変わりしたものだ。海の家といえば、畳部屋で卓袱台があり、汚いシャワールームをイメージしていたが、カフェ風でバーまでついている海の家を見つけた。


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サーフボードが、看板になっており、夜はボサノバライブ演奏をやるらしい。二人とも暑さでふらふらになっていたので、窓際の席に座り冷たいドリンクを飲んだ。僕は、窓を大きく開け放ち、顔面いっぱいに風を浴びた。


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目の前には、大きくてキラキラ輝く海が広がる。まぶしい太陽と爽やかな潮風が、心を解放してくれる。風ほど、実体がなくつかみどころのないものはない。そこには、現実社会を遠目で見ている自分がいる。


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英語でblows with the windとは、風に吹かれる人、日和見主義者を意味する。窓越しに海辺で波に戯れる人々を傍観している自分がそこにいた。けっして、日和見主義者にはなりたいと思わないが、ここのキラキラ輝く太陽と風を浴びていると、不思議な魔力に取り憑かれた脱力感があるものだ。


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しばらく、脱力感と風に身を任せていたが、『いけない、いけない』と、もう一人の僕が、自分の頬に往復ビンタで目覚めさせる。議論を避け、困難を避け、物事の形勢を伺うなんて人間には、なりたくないものだ。さあ、東京へ帰って、レポートを纏めよう!



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:40 | コメント (10)

さざ波

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アカウントプランナーのNと水着のリサーチのため、湘南へ行った。


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僕にとっては、10数年振りの海であった。もう、海なんか行くとこともないと思っていた。海水浴客になじむために、僕は前日、慌てて買って来たビ−チサンダルを履き、水着に着替えた。Nに「なにもTシャツまで脱がなくても....」『あっ、そうだ。海水浴へ来たわけではないのだった....』


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そのくらい、燦々と太陽が照り注ぐ海は、僕の心を解放してくれる。Nはリゾート風のファッションで、脇には取材用ノートを抱えている。僕は、水着姿に一眼レフカメラにコンパクトデジカメを持ち歩き、いかにも怪しい男女であった。しばらく、ウォーミングアップのため、砂浜を海岸へ向かって歩き、波打際へと足を運ぶ。


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波打際まで行くと、波が押し寄せ、足下を海水で浸す。ビーチサンダルを履いているにも関わらず、海水で濡れてしまうことに罪悪感を感じて、飛び退ける。それでも、次から次へと押し寄せる小さな波。子供のように飛び跳ねては、また波打際へ近づいていく。満ちては引いていく波と波がぶつかり合い、小さな水飛沫をあげ、小競り合いが起きているようにも見える。


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仕事でも、こんなことが起きるよなあ。『本音で語りましょう』と言われ、良かれと思って発言すると、ぎくしゃくしてくるということが....大人の世界は、対等などということはありえないのだ。それを勘違いすると、このさざ波のように必ず、小競り合いが起きてしまう。カーネギーの本に書いてあったっけ....『議論に勝つ事は、議論を避けること』


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ゲリラリサーチを行う前に、波を見つめてそんなことを感じたのでした。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:55 | コメント (4)

編笠山、ふたたび

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週末、元同僚のYと編笠山へ行った。


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きっかけは、前回、編笠山登頂後、僕と別の元同僚の誕生祝いを兼ねて、お祝いをしてもらったときのこと。誕生祝いは、単なる口実で『みんな久々に会おうよ!』ということだった。


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僕は、登山のことを熱く語った。凝り出すと誰も止められなくなる性格なので、「今度は、一人でも行く!」と意気込んでいたところ、みんなは、「山は、危険だから、一人で行かない方がいい」と言う。


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今回は、晴れていた。山の大先輩から教わった通り、ちょっと山登りの先輩になった僕は、後輩よりも一定の距離を置き、後ろの気配を感じながら登った。後日、山の大先輩から『落石などの事故を防ぐために、後続者と少し距離を取った方が良い』と教わった。


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Yは、登りながら、僕に聞いた。「なぜ、山に登ろうと思ったの?」「う〜ん、なぜだろう?」咄嗟に答えがでなかった。Yはすかさず、「そこに山があるからさっ!」と冗談っぽく言った。『なるほど、深い!』と僕は、心の中で納得した。


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都会のかっこ良さに飽き飽きしてきたのかもしれない。人工的なかっこ良さが、薄っぺらく見えてきたのだ。それと山の大先輩の出会いが、大きかったのかもしれない。数年前から、僕は、人生の岐路に立たされていた。『このままでいいのか?』

そんなことを自問自答しているうちに、僕は、あえて仕事を縮小し、やらなければならないことに着手した。とても苦しい時期だけど、山の大先輩という人物と出会って、勇気と元気をもらったのかもしれない。山を登っていると『やるべきことを一歩一歩、足を踏み出していかなければならないのだ』と実感する。


『人生に楽なんか、ないのだ!』と自分に言い聞かせて…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:41 | コメント (12)

ヒーローとスター

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プレゼンの帰り道で、ヒーローに会った。


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「やあ、ウルトラマンじゃないか?」と僕は、言った。「シュワッチ!!」と元気のよい、お返事だった。「せっかくだから、ヒーローとスターで、写真を撮ろうよ」と、僕はヒーローを誘った。彼は快く、「シュワッチ!!!!」と応えた。

スターって、誰かって?それは、僕の事です。自称、デザインスーパースター。でも、僕はちょっと、このヒーローを尊敬しているんだ。だって、きっちりと3分で仕事を片付けるところなんか、プロなんだよね。さっさと仕事を片付けると、両手のホコリを払いのけ、天を仰ぎ、「シュワッチ!」と言ってM78星雲へ帰っていく。

途中、M76星雲のフィットネスジムへ寄り、ベンチプレスでバーベルを挙げる。地球のファン達には、この大胸筋が売りだからね。そして、家に帰ってひとっぷろ、浴びるのさ!

ウルちゃんは、偉いなーー!僕は、つい最近までワーカホリックだったからね。『欲しがりません、勝つまでは!』の精神で、働かないことが、悪だと思っていた。最近は、ちょっと違う。がむしゃらやればいい、というものでもない。

仕事とプライベートをいかに両立させるか、ということが大事なんだ。それが、仕事にもプライベートにも生かされ、フィードバックされていく。昔の仕事仲間のみなさん、もう、深夜に電話かけてきても僕は、いないよ。

つまり、デザインスーパースターは、プライベートも充実していて、内面から輝いていなければならないということ。な〜んて、『ま〜だ?早くシャッター切ってよ』と同行しているIWに照れくさそうにぼやいた。


デザインスーパースターのバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:10 | コメント (12)

原宿OLD & NEW

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P.P.さんの写真展を観に原宿へ行った。


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久々の原宿だった。最後に会社勤めをしていた時は、原宿へ通勤していた。会社は、ラフォーレの斜向いで、バーゲンシーズンになると、窓際だった僕の席までバーゲンの賑わいが聞こえてきたものだった。今回の写真展会場は、ラフォーレとは反対側にある、明治通り沿いの小さなカフェ。この辺は嘗ての遊び場である。最近、すっかり都会の喧噪から遠ざかってしまった僕は、ちょっと懐かしさに原宿探索をしてみることにした。


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その中でも、ずっと変わらぬものがあった。昔からあるけど、まったく変わっていないボロンテール。ゆっくりとコーヒーでも飲んで行きたかったけど、次の打合わせのため、会社へ戻らなければならず、次回の楽しみに残しておくことにした。


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でも、こういう景観はなぜか、落ち着く。古くて、朽ちかけたもの、ペンキが剥げかかったもの、錆び付いたもの、人工的なデザインでは味わえない趣き。
その対局にある、近代的な建造物とカラフルなウィンドーディスプレー、古い建物をそのまま生かしたショップが混在する原宿は、とてもグラフィカルだった。


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唯一、残念なのが同潤会アパートである。いつかは、原宿へ戻ってきて、同潤会アパートにオフィスを構えることが夢だったのに。あそこが、表参道ヒルズに変わってしまったのは、とても残念だ。


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ほんとは、同潤会アパートを独立直後、オフィス候補に入れていたのだけど、東京大空襲時の戦死者霊がうようよしていると聞いて、当時、深夜まで働くワーカホリックだった僕は、それが怖くて断念したのだった。


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久々に探索した、原宿のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:39 | コメント (20)

オレ、カエル!

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週末、知人のフォトグラファーとフォトセッションのため、
千葉の山奥へ籠った。


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足下を見ると、新緑の中の枯れ草にまぎれて、カエルがじっと息をひそめていた。僕は、撮影そっちのけで腰を屈め、カエルと向き合った。夏だというのに所々に枯葉が落ちていて、カエルはその枯葉色にすっかりと溶け込んでいた。


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カエル:この人間、オレのことカエルだって気付いているのかな?
人間:気付いているさ!(僕は、心の中でつぶやいた)
カエル:げげげっ!マジ〜!オレ、完璧に枯葉だよ。
僕は、いつの間にかカエルと対話をしていた。


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カエル:人間って、たいへんだよなあ〜!会社で目立てば、叩かれるしさあ。
人間:そうなんだよ。今度、入社したIWは、前職の上司から、「言われたことだけをやっていればいい」とか、四大出ているから生意気だ」とか言われていたらしい。
カエル;オレみたいにこうやって、自然に同化すればいいのさ。みんな知らないかもしれないけど、オレ、害虫食べて、森のお掃除して、みんなの役に立っているのよ。オレ達を邪魔者にしたら、害虫が増えて、生態系が狂ってしまうからね。

人間:へ〜、偉いんだね。不気味な姿しているから、悪いやつかと思ったよ。
カエル:そりゃ〜、ないぜ!人間は、すぐ、自分が一番だと思っているからね。
人間:ごめん、ごめん!人間代表して、謝るよ。

カエル:そもそも、最近の人間社会は乱れているよ。「今の若いやつは…」っていうけど、大人が、そういう世の中を作ったんじゃないの?
人間:若い人達は、立派だよ。ウチのスタッフなんか、みんな20代だけど、僕があの年代の頃は、もっとダメ人間だったからね。
カエル:旦那、そりゃ〜、感謝しなきゃ!


そう言い残して、ピョ〜ン、ピョ〜ンと跳ねて、森の奥へ消えて行った。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 02:22 | コメント (10)

下山途中

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足下に気をつけながら下山していると
普段、見ることができない光景に出会った。


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途中、荒々しい溶岩を見つけた。八ヶ岳の知識もないまま来てしまったが、ここは火山だったようだ。八ヶ岳連峰は、フォッサマグナ(大地溝帯)の中にあって、古来からの連続した火山活動によって誕生した。


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フォッサマグナは、日本の主要な地溝帯のひとつで、東北日本と西南日本の境目とされる地帯。この地域、数百年前は海だったとされる。原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的になっていたとされ、数百年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、日本列島が今の形に中央で折り曲げられたようだ。この時、折れ目にできた海に、砂や泥が堆積してできたのが、今の地層ということである。


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僕は、今、日本列島が折れ曲がり、押し上がられた天辺にいるということになる。この山は、南八ヶ岳連峰のひとつで、硫黄岳、阿弥陀岳、横岳、主峰の赤岳、権現岳、西岳、そして、今いる、編笠岳と急峻な山容を持つ山々が広がっている。


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後日、山の大先輩にお聞きしたところ、先に離れて下山したのは、後続者が過って石を蹴り、落石に巻き込まれないようにということであった。さらに、山の達人は、常に後続者である、初心者の僕に気配を感じながら、ペースを保っていただいていたようだ。


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そんなことも知らずに、のんきに写真を撮る事に夢中になっていた自分が、ちょっと、恥ずかしい。山の大先輩から、感じる器の大きさは、こんなところからも見受けられる。今回の登山から、瞬時に求められる足場の選択から、同行者への配慮まで、読書やネットからでは、学べない大きなことを学んだ。また、行くぞっ!


まだまだ、未熟な登山のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:52 | コメント (14)

編笠山、下山

写真

頂上で、つかの間の休憩後、下山する。
山の大先輩は、「自分のペースで歩くように…」と言い残し、
濃霧で視界が悪いにもかかわらず、颯爽と降りて行ってしまった。


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僕は、お言葉に甘えて、のんびりと歩くことにした。大きな岩が目の前に立ちふさがる。特に下山は、膝に負担がかかり、思ったよりもハードである。両手をついて、岩から岩へと飛び降りなければならない。雨上がりの岩場は濡れていて、飛び降りた時に足を滑らせて捻挫でもしたら大変なことになる。


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先程、頂上で山の大先輩は、「携帯電話の電波が入らない」とおっしゃっていた。ここで、怪我でもしたら、山の大先輩は、僕を一人取り残し、救助隊を呼びに行ってしまうのだろうか?そうなったら、こんなところで、一人で何時間、待っていなければならないのだろう。虫とか蛇には、滅法弱い僕は、急に心細くなってきた。その時、足元がぬるっと滑り、下を見て「うわっ!」と叫んでしまった。蛇かと思ったら雨で濡れた木の根っこであった。


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そんなことを考えながら、ひたすら、右足を出し、次に左足を出し、一歩一歩交互に足を前に出していると、霧も晴れ、太陽が出てきた。ちょっと、体力的にも慣れてきたところで、周りを見渡す余裕が出てきた。針葉樹の葉が、森の隙間から差し込んで陽射しを受け、鮮やかに映し出す。


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これは、針葉樹の中でもヤツガタケトウヒと言われるものではないだろうか?約二万年前の氷期には、広く東日本に分布していた「生きた化石」と言われる植物。今では、八ヶ岳の西岳付近の海抜1,500m〜2,000mにのみ生える貴重種ということだ。


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今回、登頂した編笠山は西岳の隣なので、西岳付近ということは、編笠山も含まれるのではないかと思う。資料となる、明確な写真があまりないので断言できないが、もしも、ヤツガタケトウヒだとしたら、初登山で苦労の甲斐があり、貴重種に出会えたとういうことだ。


登山のバッドチューニングは、まだまだ、つづく…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:28 | コメント (10)

初登山

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登山の大先輩であり、人生の大先輩に八ヶ岳へ連れて行っていただいた。


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山の大先輩の「まずは、足慣らしから」というお言葉を真に受けて、軽い気持ちでトレッキングシューズを購入し、準備万端だと思っていた。

みんなで、バースデーケーキを食べながら、「服装はどうするのか?」という話になり、僕は「ジーンズでいいんじゃないの?」、ウチのスタッフ達は、声を揃えて「ダメですよーーーーー!」と言う。僕は、内心、『こいつら、なんでそんなこと知っているのだ?』と思った。

前日、慌てて神保町へ、撥水加工のカーゴパンツと半袖のTシャツを買いに行った。山頂で、記念撮影をした時に、色のコーディネートもしっかり考えて....後で、『さすが、デザイナーは、山へ行ってもコーディネートはばっちりだね』と、言われることをイメージトレーニングしながら。夜になり、友人Sから、心配そうに準備できたかどうか、電話がある。友人には、『(おまえに登山は)似合わねーーー!』と言われる。そして、半袖はダメだと言われる。

朝3時半に目が覚める。山の大先輩に車で迎えに来ていただき、朝7時30分、八ヶ岳の観音平へ到着。天気予報は、雷雨。周りはちょっとガスっていて、カッコーが鳴いている。いよいよ、出発。30分位は歩きやすかったが、段々と苦しくなる。都内でも普段は、30分も歩いたことがないのだ。50分経った頃で、10分の休憩。

1時間半も経った頃、雨が降ってきた。息が切れる。苦しい。これが、足慣らしか?と内心思う。密かに登頂ルート図をこっそりと見る。まだ、5分の1じゃないか?一眼レフカメラを持って行ったけど、写真を撮るなど、ゆとりなんかない。


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あとは、ほとんど、無心。何度かの休憩後、山の大先輩に「もうすぐ、山頂です!」と言われた。下の写真の真ん中あたりに、山頂の標識が遠くに見える。急に「写真を撮らなくては!」と思いカメラを取り出す。


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記念撮影の写真が、魂が抜けたようだ。意識が朦朧とした中で、途中の記憶があまりない。3時間半は、登ったようだ。編笠山、標高2,524m、気温は、5度。


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登山のバッドチューニングは、つづく…



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:01 | コメント (20)

ハッピーバースデー、当日

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誕生日、当日、ウチのスタッフがケーキを買って祝ってくれた。


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事務所の中は、まだ、クチナシの花の香りに包まれている。みんな集まり、8本の蝋燭に火が灯る。このケーキのブランドは、ベルギー産のヴィタメールという。

味、色、艶、香りが宝石にように磨き抜かれ、丹精に手技で仕上げられていて、とても美しい。フルーツの上には、金箔が乗っている。3代続くヴィタメール家は、ベルギー王室での催事や上流階級の人々の集まりにパティスリーを指名されるらしい。ささやかに、上流階級の気分を味わう。

ケーキの蝋燭を消すなんて、何年振りだろう。ふーーーっ、一息で消すと一瞬事務所内が薄暗くなった。事務所の照明を点けて、上流階級の気分も一瞬で現実に戻った。

土曜日は、八ヶ岳、編笠山へ、初の登山。スタッフが、いろいろ心配してくれる。まるで、小さな子供を見送るようだ。

みんな、誕生日のお祝い、ありがとう!祝ってくれて嬉しいけれど、48歳にして、初めての登山への不安で一杯。


バッドチューニングは、八ヶ岳へと続く。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:49 | コメント (8)

深夜のハッピッ、バースデー♪

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6月7日、日付が変わって僕の誕生日である。
乙女心のような、とても複雑な48歳になってしまった。


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誰にも気付かれずにひっそりと誕生日を迎えるのかと思いきや、昨日、当社のスタッフIが、「47歳、最後の日の記念に」とクチナシの花を買ってきてくれた。

それは、とてもとても香りが良く、身も心もリラックスさせてくれた。一見、白いバラにも似ていたが、香りが強くバラとは違うのが一目瞭然である。学名の種名にjasminoidesというのもあるが、強い芳香から「ジャスミンのような」という意味があるらしい。

秋になるとオレンジ色の果実をつけ、熟しても割れない(口が開かない)ことから「口無し」と名付けられたようである。また、クチナワナシ=クチナワ=ヘビ、ナシ=果実から、ヘビくらいしか食べない果実、という意味からクチナシと名付けられたという説もある。

こんなに良い香りを楽しませてもらったが、とにもかくにも、48歳ということは、もうすぐ、50歳じゃないか!心は未だ、18歳の時とあまり変わっていないのだが…少しは、大人にならなくては!


素敵な香りと、複雑な気持ちのバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:17 | コメント (18)

雨上がりの緑

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金曜日は、雨だった。
普段、じっくりと見る事もない桜の木に生えた苔が美しかった。


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苔とは、生物学的にはセンタイ類と言うらしい。漢字で書くとセンは「鮮」、タイは「苔」と書くようだ。だから、雨上がりの苔は鮮やかなのだろうか?

この苔は日本の国歌の「君が代」にも登場する。
君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで

これを現代語に訳すと以下の通り。
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。
※いわお=巌=高く突き出た大きな石

ところで、「君が代」とは誰のことか?この歌詞の出典は、「古今和歌集」とも言われており、「わが君は」と表記されているらしい。「わが君は」=「君が代」の「君」である。この解釈はいろいろあるらしく、「わたしの恋しいあなた」と恋人のことを想う解釈と、君主を意味する「私の旦那様は」か「わが大君は」と議論が分かれるところらしい。

「君が代」の法制化問題で、反発もあったけど、作者が、「わたしの恋しいあなた」という意味で「古今和歌集」を描いたとしたら、とても美しくロマンチックな詩なのに...そして、雨上がりの苔もとても美しく感じた。


雨上がりに見た、苔のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:14 | コメント (16)

黄色い軍団

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午後3時頃、目の前を黄色い軍団が駆け抜けていった。


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そうだ、ピカピカの一年生の季節なんだ。鮮やかな黄色いランドセルのカバーが、あちこちらに湧き出ていた。彼らは、とにかく走る。カメラを向けてみるが、とにかく右に左に前へ全速力、急停止、いきなりUターン。ピントが合わない。僕も一緒に走る。きっと、端からは、変な大人に見えているに違いない。


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よく見ると、この軍団は、4人の男の子と1人のマドンナを取り囲んで構成されている。マドンナの気を引こうとして、全速力で群れからはずれてみるやつ。マドンナは、その中のインテリジェンスな男の子が語る、相対性理論を熱心に聞いている。(想像だけど)

こんなことがあったなあー!あの頃の僕を彼らへ投影した。そういえば、相当な大人になってから、おふくろに「あんた、よく、『隣の直子ちゃんをお嫁さんにる』するって、言っていたっけ!」と言われて、顔面から火が吹き出そうになったことがある。

ところで、黄色は警戒色と言われていて、黒と黄色の組み合わせが、一番目立つ色とされている。だから、工事現場に黒と黄色のストライプが使用される。子供達のランドセルのカバーに黄色を使用しているのも暗いところで目立つようになっているからだ。

日露戦争のバルチック艦隊は、煙突を黒と黄色に塗り分けてあり、日本艦隊に視認されやすかったそうだ。他にも、黒と黄色を調べていると、虎と蜂の体色も他の生き物に獰猛であることを知らせる、警戒色だというのだが。では、なぜ、ほかの獰猛な生き物は、黒と黄色の体色ではないのか?

注目されたい人は、黒と黄色のファッションで身を包めば、目立つかも。ひえ〜、センス悪そう!


黒と黄色のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:30 | コメント (14)

素直になれなくて...

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母の日である。困った。
どうして、この日は、素直になれないのかなあ〜。


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そもそも、「母の日」って何だ?子供の頃、習ったかもしれないけど、再度、調べてみた。 1870年、アメリカで南北戦争が終結したばかりの頃、ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子供を戦場に送るのを拒否しようと立ち上がり、「母の日宣言」を発したことに始まるそうだ。


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「母の日」は、日頃の苦労を労り、母への感謝を表す日、とある。カーネーションを贈るようになったのは、20世紀初頭にアメリカで始められたそうだ。ふむふむ、それで?1907年、ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャービスが、自分の教会学校の教師であった亡き母親を覚えて、教会で記念会を催し、白いカーネーションを贈ったのが始まりといわれている。


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それに感動した人々が、母を覚える日の大切さを認識し、その3回忌の5月8日に、ジャービスは友人達に「母の日」を作って国中で、祝うことを提案したのだった。そして、翌年、彼女が努めていた学校に400名以上の生徒と母親達が集まり、第一回目の「母の日」を祝ったそうだ。彼女は、参加者全員に彼女の母親が好きだった、赤いカーネーションを手渡したことから、「母の日」のシンボルになったようだ。

う〜ん、そんなウンチクはいいから、なんて言って渡そう。真っ赤は、毎年おなじみなので、ちょっと変わった色にしてみよう。今回は、ツンデレ風(みんな知ってる?ツンデレ?)で行くか。

『たまたま、花屋の前を通りかかったら、カーネーションを売っていたので買ったんだからね。おふくろのために買ったわけじゃないんだからね。おれ、母の日なんて、知らないからね...』と言いつつ、しっかりと『おかあさん、いつもありがとう!』とメッセージを添えて....


いつまで経っても照れくさい、母の日のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:54 | コメント (18)

ジェット戦闘機パイロット

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今日一日、部屋に引き蘢って、やっと見つけた。


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ハルジオン(春紫苑)の花の蜜を吸っている、ジェット戦闘機のパイロットみたいなヤツは、ずっと、ミツバチだと思っていた。いろいろ調べたけど、ハチ科のどれにも属さなくて、スズメバチにでもしておこうかと思った。


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今朝から、ミツバチの生態を調べて、高度なハチ社会を描こうと思ったけど、これは、ホソヒラタアブ(ハナアブ科)のオスだということが判明した。複眼の天辺のところがくっついているのがオスらしい。

ミツバチもスズメバチも、目がもう少し細くてつり上がっているので、これは何だろうと思っていた。そういえば、ミツバチはいつも機嫌悪そうに怒っているよね。それに較べて、このハチにそっくりなアブの顔は、ジェット戦闘機のパイロットのヘルメットみたいだ。

なぜ、スズメバチにそっくりな縞模様かというと、このアブは毒を持っていないので、ハチに似せて身を守っているからだという。相手に気付かれると30〜100mは追いかけられ、刺されて血を吸われるそうだ。

花の蜜を吸うことに夢中になっていたこのパイロットは、幸いにも僕が視界に入っていなかったらしい。そんな吸血鬼だとも知らずに僕は、カメラをアブに10cm位まで近づけた。

でも、ハチよりも色が鮮やかで、オレンジ色が美しい。おもしろいことに、ホソヒラタアブのホソヒラタというのは、オレンジ色の腹の部分が、かまぼこ状に底が平たくなっているのであった。


なかなかチューニングが合わず苦労した、昆虫のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:55 | コメント (12)

小さな小さな花

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気持ちを整理するために公園を歩いた。
華やいだ花壇の片隅に、目にも留まらぬ小さな小さな花を見つけた。


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その名をわすれな草と言う。花径が5mm位(写真は2倍率のマクロで撮影)の小さな小さな花。じっと見つめると、特に強い風が吹いているわけでもないのに「ここだよ」って、全身に力を込めて、ぷるぷるっと揺れて合図する。

小さくても「私を忘れないで」と言っているように見える、わすれな草は、ドイツにこんな言い伝えがある。

ある日、ドナウ川のほとりを歩いていた恋人達。青年が岸辺に小さな小さな可憐な花を見つけた。青年は、その花を摘んで、彼女へプレゼントしようとした時、過って川へ落ちてしまった。必死で、岸へ泳ぎつこうとしたが、残念なことに青年は激流に飲み込まれ、力尽きてしまった。その間際、青年は彼女に「どうか、僕のことを忘れないで」と言って、小さな花を放り投げたそうだ。

目にも留まらぬ小さな花だけど、一度見たら決して、忘れることができない、ロマンチックな花。


小さな花のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03 | コメント (18)

つつじ、散る

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今日は、朝から生憎の雨だった。
最近、すっかり、雨の日が楽しくなってしまったので、
午後からカメラを持って散歩へ出た。


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れれれのれーーー!の気分。
あっ、つっ、つつじが散っているっ!


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真っ赤なつつじが、雨で濡れて、黒ずんでいるアスファルトに鮮やかに映えている。見ている端から、はらりと一輪のつつじが散っていく。緑色の葉っぱと真っ赤な花びらが補色関係で、より鮮やかに色彩を彩る。雨上がりの曇天はさらに美しい。


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野球のユニホームを着た中坊達は部活でしごかれ、歩道をランニングして、僕の背中越しに通り過ぎて行く。僕は、その傍らで、つつじの花びらに10センチ位まで近づき、写真を撮る。変なおじさんと思われても気にしない。君達には、この儚くて、美しい一瞬を堪能できるだけの人生経験がないだろう?(なぜ、そんなことが分かるかって。僕も君達の年頃には、つつじなんてものは視界には入ってこなかったら)


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その赤いつつじは、花びらが、カーマインから、マゼンタへとグラデーションになっているのがとても美しい。もっと、顔を見せておくれ。ほらっ、恥ずかしがらずに。そうだ、いい子だ。なかなかきれいじゃないか。そんなに頬を赤らめなくなって....と、僕は、雨上がりの午後に一人つぶやいた。雨の日のつつじもいいものだ。


雨の日のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:33 | コメント (16)

雨の中のスウィング

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今週、健康診断に行った帰り、雨だった。
傘もなく、ずぶ濡れになって、後楽園の駅まで10分程歩いた。
雨の日が嫌いな僕は、気分は最悪だった。


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やっとのことで、丸ノ内線後楽園駅の軒下でひとまず雨宿り。ハンカチで濡れた体を拭きながら、今来た方向を振り返ってみれば、目の前の礫川公園には、鮮やかな八重桜が咲いていた。


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通り行く人々は、傘をさして雨を避けるようにみんな下を向き、水たまりを避けるようにぴょんぴょん飛び跳ねて、駅へ急いでいる。もう、誰も桜になんか興味ないようだ。あんなに桜に熱狂的な国民なのに、ソメイヨシノが散ると、もう慌ただしく、日常へと帰っていく。八重桜は、「あれは桜ではない」とでも言っているようだ。桜が、ちょっと泣いている。


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僕は、心の中で、「大丈夫だよ。ここに観客がいるじゃないか」と桜に語りかけ、雨の中へ飛び込んでいった。どうせ、もう、全身ずぶ濡れなのだから。気分は、あの「雨に唄えば」のジーン・ケリーのつもり。


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スウィングして、スキップして、桜の木の下に辿り着く。そして、夢中でシャッターを切った。鼻歌まじりで、浮かれていたせいか、アップの写真は全部、ブレブレ。そんなことなんかどうでもいい。さーーーっ!と、降りしきる雨が光を拡散して、桜の色を鮮やかにしてくれる。


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「もう、どうにでもなれ」と言う気持ちで、木の下から飛び出し、自ら雨に当たりにいった。つつじと緑の葉っぱが、なんとも色鮮やかだ。誰も花見なんかしていないけど、僕は天を仰ぎ、顔面に雨を受け、一人花見を満喫した。


まだまだ、桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:28 | コメント (24)

桜というオアシス

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桜の満開から、一週間が経った。
あいにくの曇り空。


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桜が散ってしまうのが、名残惜しい。地面に落ちた桜の楽しみ方もあるのではないかと、地面にカメラを向けた。


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地面には、あれだけ人々を熱狂させた桜が、土まみれになって地面に散っていた。この上をみんな踏みつけていく。ちょと、感傷的になっていたら、曇り空だというのに突然、陽射しが桜の木を照らして、地面に木の影を作った。


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気持ちが通じたのだろうか?ほんの一瞬の出来事だった。桜は、この時期、ぱあーっと咲いて、ぱあーっと散っていく。この散り際が、潔くて美しいのかもしれない。

桜が散る頃、人々は何事もなかったように日常へ戻る。さくらは、寅さんに言う。「額に汗して、汗まみれになって働く人と、いいかっこしてブラブラしている人とどっちが偉いと思うの。地道に働くってことは尊いことなのよ」

桜の季節、ついつい浮かれた気分になって、勤労意欲が少し薄れてくるが、このひとときのオアシスを堪能したら、額に汗して地道に働くこととしよう。さくらが、いや、桜が愛されるのは、そんな庶民の束の間のオアシスだからなのかもしれない。


散り際が美しい、桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:48 | コメント (16)

小さな桜

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小さな森の小さな池で、水面を眺めていると
上からハラハラと小さな桜の花びらが舞い降りて来た。


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さくらを演じる倍賞千恵子さんは、「無個性という個性のある女優」と評されていたようだ。たった一枚のなんの個性もない小さな桜の花びら。


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そんなことを考えていると、ぴったりと寄り添った二枚の桜が流れてきた。一枚が二枚に三枚にと、どんどん増えていく。


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おいちゃん、おばちゃんが営んでいる、とらやという小さな団子屋には、さくら、博、タコ社長、寅さんのマドンナがいつも出たり入ったり、いつの間にか、商店街の人が集まり、準家族として存在する。


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旅先で、寅さんは困った人を見ると「何かあったら、東京は葛飾柴又の帝釈天参道にある、とらやという小さな団子屋を尋ねて行きな。きっと、悪いようにはしねぇ」と捨て台詞を吐き、去って行く。

そんなことを言うものだから、みんな寅さんを頼って、とらやに集まる。おいちゃん、おばちゃんも、これがまた人がいいものだから、すぐ食事の支度をしてもてなす。

寅さんの恋愛談義で盛り上がったところで、突然の客は、「そろそろ時間なので…」というと、決まってさくらは「ねえ、泊まっていきなさいよ。いいでしょ」と別れを惜しむかのようだ。これが、団欒というものだ。小さな花びらもたくさん集まれば、賑やかになっていくものだ。


小さな桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:49 | コメント (16)

ああ、さくら!

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昨日の豪雨で、あの小さな森の桜が気になって、
早起きして見に行った。やっぱり!


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さくらって、いつも可愛そう。ある日、さくらと博は、おいちゃん、おばちゃんに、額に汗してコツコツためたお金で、念願叶って家を建てるという話をしている。


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そこへ、寅さん、気まぐれに放浪の旅から帰ってきて、その話に割り込む。「割り箸みたいな細い柱立ててよ。安いせんべいみたいな壁をぺこぺこまわりに貼り付けて、中へお住みになるんですか?(中略)家なんか建てようなんて、生意気なことはやめろ!」と毒舌を吐く。


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「言っていいことと悪いことがあるのよ、お兄ちゃん!そりゃ、私達の建てる家なんて、どうせ安普請よ。そよ風が吹いたら、倒れるかもしれないわ、(中略)私達が毎日のおかずを節約して、五年かかって貯めたお金をもとにして(中略)….」

「でもね、私達の家は真面目に働いたお金で建てるのよ。私達は、自分の家が持てるから、嬉しくてしょうがないのよ。お兄ちゃん、どうして、さくらがんばれよって…..そう言ってくれないの......」と、さくらは、泣き出す。僕も泣き出す。

寅さんは、自分がフーテンで、さくらに何もしてあげられないことの裏返しで、あんなひどいことを言ってしまったのかもしれない。雨の後のさくら、いや桜は、なんだか背中を向けて、しくしくないているようで物悲しい。


雨桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:30 | コメント (10)

桜が去っていく

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夕方から、豪雨だという。
雨が降らないうちに近くの森へ、桜を見に行った。


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なんと、かなり散っているではないか。小さな森の池には、桜の花びらが浮いて、どこかへ流れていく。恋い焦がれた、桜が去っていく。


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寅さんが、なぜ、48回も失恋し続けたかって?実は、永遠の憧れの女性は、さくらだったからという説がある。妹への思慕は、禁忌だから放浪の旅へ出るしかないということなのだ。

流れ去るさくら、いや、桜を見ていると、水面に映った、山吹の花の鮮やかな黄色が、まるで、太陽のように明るく破天荒な寅さんのようでもある。そして、さくらは、一歩下がって、見守り優しく癒してくれる。寅さんは、そんな女性を求めて、あてのない放浪の旅にでる。


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僕は、そんな桜を見届けて、小さな池を後にした。途中の遊歩道では、山吹の花が鮮やかに咲いていた。散っていくものと、鮮やかに咲き誇っているものが、すれ違っていくようだ。「また、来年会えるさ!」とさくらに、いや、桜に言い残してそこを後にした。


水面桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:56 | コメント (8)

桜とさくら

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桜を見ていると、さくらを思い出す。
そう、寅さんの妹のさくらだ。


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若い頃、寅さんの映画は面白いと心の中では思っていても、口が裂けても好きとは言えなかった。山田洋次監督の映画は好きだったけど、あまり、人には語らなかった。「なんか、おしゃれじゃないんだよなー!」と耳をほじりながら、思ったものだ。


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でも、山田監督の本をむさぼり読んでみると、なんとも、深いのだ。お互いが響き合い、俳優の良いところも悪いところも生かされている。それぞれの持ち味を生かして、監督は「そのままを演じればいい」と、さくらを演じる、倍賞千恵子さんに言ったそうだ。

僕の仕事は、寅さんと同じようにヤクザな渡世人。北から声がかかれば、出向いていき、南から声がかかれば「あいよっ!」と飛んでいく。出かける時は、決まって「おれは、出て行く、旅の空!」

心の中では、寂しいくせに啖呵切った手前、「止めるな!さくら!」と捨て台詞を吐く。そうなんだ、ダンディなどと強がっているけれど、さくらに止めてほしいのだよ。そして、時には「おに〜い〜ちゃんっ!」ときつく叱ってほしいのだ。どんなにかっこつけていても、僕は、寅さんとなんら、変わりはしない。

桜がなぜ、いいかって?あんなに優しそうで可憐な花なのに、強風にも負けず、羽目を外しそうな僕を止めてくれるような気がするんだよね。


桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:32 | コメント (10)

オルフェのような夜桜

写真

土曜の深夜、自宅近くの播磨坂、桜並木通りへ夜桜を撮りに行った。
ここは、桜のシーズンになると、夜桜を楽しむ人達で賑わっているはずが、
この日は、誰もいなく不思議で奇妙な世界に見えた。


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夜桜を撮影するという、重要なミッションを与えられたので、三脚にカメラを取り付け、肩に担いで撮影へ出かけた。独自の視点の桜を撮れないものかと、しばらく歩き続ける。この日も強風で煽られる。


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なんと、カラーで撮影すると街頭の水銀灯が、写真に写ると桜を緑色に照らして、桜色の美しさが台無しになった。そこで、僕はモノクロに変換してみた。桜が強風でブレているが、暗闇の中で不思議に舞っていた。まるで、ジャン・コクトーの「オルフェ」のように。


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物語の中の詩人オルフェは、冥界の中の王女に恋をする。鏡が異世界とこの世を結ぶ出入り口になっている。王女に会うには、鏡の向こうへ行かなければならない。王女は、夜毎オルフェの枕元に現れるが、彼はそれには気付かない。そして、オルフェは、とうとう鏡の向こうへ入る手袋を手に入れる。


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そこは、この世とは思えない、奇妙な別世界。モノクロの桜には、この世ではない、冥界の美しさを感じるのだ。もしかしたら、この妖艶な桜は、鏡の向こうの冥界の王女が、この世の人間を手招きしているのかもしれない。


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深夜、怪しげにカメラを担いで歩いていると、冥界の入り口に出会うような気がする。こんな夜桜の見方も今までなかったかもしれない。まだまだ、いろいろな発見があるものだ。


夜桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:15 | コメント (8)

アンダルシアから、チェリーブロッサム

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週末、打合わせの帰りに不忍池へ立ち寄った。
桜が満開なので、カメラを向けた。


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みんなカメラを持って、桜日和を満喫しようとしているが、とにかく、風が強い。ファインダーを覗いて、息を止め、風が止む一瞬を捕えようとするが、花びらはブレる。焦る。桜がぴたっと止まらない。背後の視線が気になる。早く終わらせたい。


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そのうち、桜の花びらが、ダンスを踊っているように見えてきた。ここは、タブラオと呼ばれる酒場。フラメンコダンサーのドレスが、宙を舞う。木々をよぎる風が、ざわざわと蠢き、カンテのように聴こえる。カスタネットの音が小刻みに聴こえ、サビーカスのギターが、哀愁を誘う。

ピントが合わないのは、まさにバッドチューニング。僕は、この瞬間まで、わざわざカメラを三脚に取り付けて、桜にピントを合わせなくてはいけないと思い込んでいた。心の中で、もう、普通の桜は見飽きたじゃないかと、つぶやく。僕が撮らなくたって、毎年同じような写真を誰かが撮影している。こんな花見があってもいい。気分は、アンダルシア。


上野で見つけた、桜のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:49 | コメント (12)

Cool time, Warm time

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東京の人は「冷たい」という人がいる。
でも、それはそう思っている自分の自己投影なのではないだろうか?
新宿副都心にも時間によって、いろいろな表情があるように。


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午後4時30分37秒。殺伐とした都会の風景。誰も他人のことなんか、構っていられないとでも言っているようだ。


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午後5時28分37秒。暖か味のあるオレンジ色の西日が、一日の終わりを知らせ、人々の温もりを感じる。


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午後5時38分42秒。東京は、眠りについたように見える。実際には、夜もフル稼働している都市であるが….(この後、本番撮影が始まったので、現場に戻る)

昨日、ある人達を食事に誘って、楽しい時間を過ごした。昨年、自社でWEB制作を行っていた時、問題点に直面し、ウチのスタッフがネット検索で、たまたま見つけたWEB制作会社に問い合わせたら、親切丁寧に対応してくれた。

僕達は、本当に困っていて、見ず知らずの人間が問い合わせても、相手にされないだろうと思っていた。でも、「やってみなければ、分からないじゃないか?それで、ダメだったら諦めもつく」と、僕はスタッフに言った。

あれからずっと、何か御礼をしたいという気持ちがあったので、どうそれを伝えるべきか、考えているうちに4ヶ月が経ってしまった。そこで、思い切って、食事に誘ってみた。相手の方は、「今さら、何だろう?」と警戒されたようである。

でも、あまり会う理由なんかなかったんだよね。他愛ない話で、盛り上がったけど、家に帰ってからもなんだか幸せな気分だった。自分から行動しなければ、温もりという時間は手に入らない。


温もりという時間のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:43 | コメント (4)

時空を超えた、レインボーブリッジ

写真

さらに、恵比寿ガーデンプレイスからの眺望。
こんなに、東京の風景を眺めていることも、めったにないかもしれない。


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上の写真は、午後4時29分37秒、六本木ヒルズから、右側へファインダーを向けると、レインボーブリッジが見えた。やや、陽が沈んできた。4,500K(ケルビン)かな?色温度が違うと、同じ風景でも、ちょと、過去に戻ったみたいだ。


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午後5時17分29秒。さらに陽が沈み、影が長く延び、ビル群がオレンジ色に輝く。色温度はぐっと落ちて、2,500Kくらいだろうか?もっと、過去にタイムスリップしたような感じで、とてもノスタルジックな印象だ。


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午後5時39分10秒。太陽が、地平線すれすれに沈みかけ、夜のとばりが幕を降ろす。TTL測光の露出が、18%グレーに合ってしまっているので、明るく見えるが、実際には夕日が沈み、肉眼で見るともっと暗い。太陽が、地平線に隠れかかっている光なので、ダイレクトに光が当たらず、柔らかくロマチックで未来を感じる。

この日陰は、何ケルビンなのだろうか?あいにく、フォトグラファーのようにカラーメーターを持っていないので、今後の課題にしよう。それにしても、こうやって並べてみると、見えていないものが見えてきた。


時空を超えた、バッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:09 | コメント (14)

3,000ケルビンの夕暮れ時

写真

午後2時から、ずっと東京の風景を見ていた。
同じ六本木ヒルズでもこんなに違う。


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お昼頃の太陽光は、5,000K(ケルビン)の昼白色と言われている。最初の写真は、午後4時29分16秒。やや、地平線の向こう側が、赤みがかってきた。4,500Kくらいかな。


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次の写真は、午後5時37分37秒、約3,000K。六本木ヒルズに西日が当たり、東京のど真ん中で、モニュメントのようにそびえ立っていた。古代マヤ文明が、太陽を神と崇めたように、この光り輝いた一瞬が、神と一体になるような気がした。民衆はこのモニュメントを神と崇拝する。古代人となんら、変わらない。

雲ひとつない,快晴の日は、気分が活発になり外に出てみたくなる。これが、6,500Kの昼光色。夕暮れになると、なんだか家に帰って、ソファーに深々と腰掛け、ゆったりとした気分を味わいたくなる。

コンビニは、お客さんを活動的にさせ、回転率を上がるために明るい蛍光灯を使用して、色温度を上げている。雰囲気のあるレストランでは、ゆったりと食事を味わえるように、ちょっと、赤みがかった白熱灯の間接照明やキャンドルを灯し、低い色温度に設定されている。ロウソクの炎は、2.000Kくらい。

レストランで、ゆったりとディナーを楽しみたいと思っているのに、色温度の高い蛍光灯だと落ちつかないよね。夕日を「ぼーっ」と眺めて、無心に遠くを見つめてしまうのは、なぜだろう?人間には、色温度に反応するセンサーでも埋め込まれているのかもしれない。この見慣れた、東京の風景を見ていると「ぼーっ」と時が経つのを忘れてしまった。


色温度のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:04 | コメント (10)

17:27黄昏東京タワー

写真

撮影の合間にガーデンプレイスから、
カメラを構え黄昏時を待ち続けた。


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前回のコメントで、モネの話をいただいたので、しつこくガーデンプレイスビューを掲載することにした。その話は、モネが睡蓮を時間毎に光による色の変化をキャンバスに定着していったという内容のものだった。僕は、印象派の絵画というのは、色温度を表現していたのだと思う。


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2枚目の写真は、フォトグラファーが、テスト撮影している時に、僕がそこに誤って写ってしまった写真。ほら、窓の外は黄昏がかってきたでしょう。室内に露出を合わせているので、外の露出はちょっとオーバー気味だけど。この季節、心の琴線に触れる色温度は、17:00〜17:30位の一瞬であった。

風景写真を感動的なものにするには、一日中、そこに張り付いて、色温度を観察しなければならない。見慣れた風景もまた、違った表情を見ることができる。多くの人が見たというのは、意外と見ていないものだ。

その時々の色温度と露出とレンズ特性が、偶然、そのような色合いになるのだと思う。写真は、いくらでもバリエーションを撮る事ができるけど、それをセレクトして発表するは、自分の決断が左右する。だから、写真の善し悪しに答えはないのだ。同じ風景を撮影しても、人それぞれ違ったものが出来上がるのは、写真というのは、撮影者の心の投影なのではないだろうか?


東京タワーのバッドチューニングを求めて。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:08 | コメント (14)

忍び寄るカゲ

写真

恵比寿ガーデンプレイス39階で撮影だった。
晴れ男の僕は、人差し指を天に向けて仰ぐと、
モーゼの十戒のように雲が左右へとひいていった。


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それにしても、東京という都市は建物が密集していて、上から見下ろすと圧倒される。特に恵比寿は、オフィス、店舗、住居が混在しているようだ。真ん中には、東京タワー、左には六本木ヒルズ、右にはレインボーブリッジが見える。

そして、恵比寿ガーデンプレイスを見下ろすと、住宅街一帯が、窪んだように低く立ち並ぶ。そこへ巨大な黒いカゲが、おおい被さるように長くのびる。六本木ヒルズや東京タワーさえも飲み込んでしまいそうな勢いだ。不気味でもあり、絶景でもある。

権力の象徴は、どこまで戦い続けるのだろう。僕の嫌いな「勝ち組」、「負け組」という言葉。この巨大な実態のないカゲは、何に勝っているのだろうか。

そんな事を考えながら、モーゼに成り切っていた僕は、なんだかこの巨大な黒いカゲを操っているような錯覚に陥った。とうとう東京を征服したか!(いや、そんなことはない!)


大都会のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:29 | コメント (24)

空をトリミング

写真

また、首都高速のお台場出口で渋滞。
車が一向に動き出しそうもないので、写真を撮った。


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上を見上げると高速道路が、まるでL字型のトリミングスケールのように見えた。撮影現場では、フォトグラファーが写真を撮り、アートディレクターやデザイナーがトリミングスケールを持って、写真をトリミングしながら方向性を詰めていく。

今では、デジタル撮影が主流になり、現場ではモニターでチェックすることが多くなったので、レイアウトデータをパソコンに入れて、モニター上でトリミングをすることが多くなった。

それでも、僕はトリミングスケールを持っていくようにスタッフに指示する。それは、まわりを黒で覆うことができ、雑念を排除することができるからだ。常日頃から、人差し指と親指でL字を作って、構図を決めていくのが癖になっているのだ。(みんなやっていると思うけど)

肉眼で見ていると、いろいろな雑念が目に飛び込んでくるが、こうやってトリミングして覆い隠すとテーマが絞れてきて、新たな発見がある。それが、日常の見慣れた風景の中に美を発見する、ということである。

前回のブログの不忍池も削ぎ落としたから、いろいろな発見があった。肉眼で見ていると、いろいろなものが視界に入ってきて、決して美しい風景とはいえないものでも、どこか異国の地へでも行ったような光景になる。

多くの人と同じものを見ていても感じ方が違えば、画面の切り取り方も違うということだ。渋滞の中、どんよりした曇り空であったが、写真で見ると柔らかく、美しい色あいであった。きっと、写真とは心の投影なのであろう。


心のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 14:43 | コメント (8)

黄金のひらめき

写真

上野で途中下車。
不忍池は、黄金に輝いていた。


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不忍池は、ハス池、ボート池、水上動物園の3つからできている。冬は、枯れた蓮の茎が、林立してあまり美しくないと思っていた。ところが、時計を見ると午後3時57分。なんと、西日を浴びたハス池の枯れ草が、黄金に輝いているではないか。

みなさん、アイデアって、どう浮かびますか?何時間も窓の外を眺めて、ぼーっ、としているうちになんとなく浮かびますか?それとも、机の脇に本を片っ端から積み上げて、なにかしらから、影響を受けますか?仕事のできる人は、すぐに次から次へとアイデアが出て、そうじゃない人は、何時間も何日も机にへばりついていても、一向にアイデアが出る気配がない。出たと思ったら、たったの1案。これじゃ、検証も議論もできませんよね。

そこで、僕は、10数年前にアイデアを出すレベルの標準化を目指し、システムを考えた。それからというもの、スタッフのみんなは、いろいろなアイデアを出すようになった。一番、大事なのは、アイデアを発表する勇気。否定されるかもしれないし、絶賛されるかもしれない。だから、その勇気をたたえ、絶対に否定してはいけないのだ。

まずは、「いいね〜!いいね〜!」と聞いてあげる。そこで、ダメだなんてすぐに答えを出さない。次に「ほかには?」と言うと、また次から次へと出してくる、それでも「ほかには?」「以上です」とやり取りがあり「では、今回のプロジェクトの目的や、ポジショニングや…」とあらゆる角度から検証して「どれにしようか?」と議論する。だから、だれも傷つかない。いきいきと発言し、お互いが触発して、さらに「はっ」と閃く。それを「降りてきた」と言うのですけどね。黄金に輝いている、不忍池を見て、閃いた瞬間のようだった。


黄金のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 14:13 | コメント (12)

調子っぱずれな、ピアノ

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あるホテルのロビーで、自動演奏ピアノがラグタイムを奏でていた。
これを聞いて、僕はセロニアス・モンクを思い出した。


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「Solo Monk」というこのアルバムは、1曲目から、ラグタイム調の「DINAH」という曲で、調子っぱずれなサウンドが、脳ミソをトロ〜リと、とろけさせてくれ、嫌なことを全て忘れさせてくれる。よきアメリカのミュージカルのように、スウィンギング!!ダンシング!!シンギング!!と思わず、満面の笑顔で両手を広げ、ひとり芝居。

ジャケットのイラストレーションは、僕の好きなプッシュピンスタジオのポール・ディビス。サウンドは、この絵のタッチにぴったりで、どこかトボケた感じの全曲ピアノソロ。


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こんな下手なのか、うまいのか、分からないと思っていた演奏でも、モンクの練習量は半端じゃなかったらしい。一曲を自分の解釈で納得いくまで、毎日毎日いろいろな角度から吟味してからじゃないと、人前では弾かないというのだ。

モンクの息子がドラマーとしてデビューして、父親とヴィレッジ・ヴァンガードで演奏した。その時の父親の音楽的アドバイスは、その1回きりだったそうだ。「ドラマーの仕事は、リズムキープだ。それがしっかりできれば、後は装飾品のようなもの」と言われた息子は、ちょっと不満だったようだ。

しかし、息子はそれまで聞き続けてきた父親のピアノの秘密がそこにあったことを知った。つまり、「最低限のことを完璧に行う」という父親の厳格な姿勢が、そこで初めて理解できたようだ。これはデザインにも通じるものがある。

晩年、モンクは体調を崩し、このアルバムはその時のもの。それを知ったら、まるでピエロのように、ミストーンではないかと思う位のバラついたサウンドとリズムは、もの悲しくもある。


ジャズピアノ、究極のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:33 | コメント (8)

仙人のいる山

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週末、スキーへ行った。
早朝4時の東京は、雨。関越道も雨だった。
月夜野で降りて、三国峠のトンネルを超えた頃には、雪に変わった。


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いつもの苗場は、濃霧で視界が悪い。リフトに乗っていると、横風が吹雪と一緒に頬を叩き付ける。頂上は、真っ白で何も見えなく、滑走禁止だった。数日前に雨が降ったのか、ゲレンデはアイスバーン。滑っていてもちっとも楽しくない。数本滑った後、プリンスホテルに戻る事にした。

苗場山の中腹を滑りかかった頃、霧の中に山々を見た。まるで水墨画のようだ。そもそも、水墨画は鎌倉時代に中国から日本へ禅とともに伝わったそうだ。もともと、禅の思想を表す絵画だったようだが、徐々に風景画も描かれるようになり、山水画と発展していったようだ。

日本では、室町時代が水墨画の全盛期となる。足利家が禅宗を庇護したこともあり、雪舟をはじめとする、多くの画僧を排出した。だから、水墨画を見ているとなんだか神々しくなるのだろうか?無彩色の世界は、実世界の喧騒からかけ離れた禅の世界だ。

しばし、寒さを忘れてこの無の世界へと没頭していると、精神が統一されてくるようだった。ポジティブ思考の僕は、『こんな悪天候でも収穫があった』と、気分が昂揚した。

こんな静寂した苗場は、バブルの時の賑やかさがウソのようだ。かつての華やかさはなくなったけど、もともと自然の風景は今も昔も変わらない。仙人もやっと静かにもとの生活に戻れることであろう。


スキー場のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 02:47 | コメント (8)

東京にも空がある

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ある平日の午後、車でお台場へ向かった。
何か大きなイベントでもあるのか、首都高のお台場出口は渋滞だった。
車は一向に進まないので、僕はカメラを取り、シャッターを切り出した。


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こんな渋滞でも『無駄に過ごすことはできない』とポジティブに考えるところが、僕のいいところでもあるのだ。いや、単に貧乏性なのかもしれない。すぐ、時間がもったいないと思ってしまうところが、ゆとりがないのかな。

高村光太郎の「智恵子抄」に出てくる、智恵子は「東京には空がない」と言った。「ほんとの空が見たい」と言った。智恵子は遠くを見ながら、「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空がほんとの空だ」と言う。

東京の空は、智恵子の言う、青い空とは違うかもしれない。東京は、大きいものが勝つ、権威のあるものが強いという都市かもしれない。でも、この東京に住む人々は、どんなに地位や名誉の違いがあってもこの大空には太刀打ちできない。

僕は時々、地面の蟻を見ては「おい、こら、ここに巨人がいるのが見えないのか?」と注意したくなる。あんなにあくせく働いている蟻を思わず踏んでしまいそうになったからだ。

あのビルの中で働いている人達は、この大空に較べたら蟻と人間みたいにちっぽけな生き物。取引先やボスの顔色を見てあくせく働いている。この風景を見ていると、大きな黒い魔人が今にも都会の人々に襲いかかろうと忍びよってきているようにも見える。「こら、もっと大きな心を持ちなさい」と。これは、下を向いて携帯メールばかり打っている、都会人への警鐘だ。


都会の空のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:01 | コメント (14)

Sへ

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日曜日に当社スタッフのSが結婚式を挙げた。
その前の週、スキー場で見た風景はこれを物語っていたのか?


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教会の扉が開き、父親にエスコートされてSは入って来た。扉が開いた途端、僕はまぶしさで直視できなかった。ヴァージンロードを歩き、僕の目の前を通過した瞬間、何かこみ上げてくるものがあり、感無量で涙が溢れてきた。彼女は、優しい光に包まれ、まぶしく光輝いていた。こんな気持ちになったのは初めてだ。

僕は、あの苗場の山の中腹で見た,不安定なところに心細く立っている二本の木とオーバラップした。二人は一つになり、そして光輝く。結婚式の前々日、Sはちょっとナーバスになっていた。新しい人生の第一歩は、誰だってこの風景のように不安でいっぱいなものだ。

普段、身近でコツコツと仕事をしている彼女とは別人だった。努力家でしっかり者の彼女は、いつも僕をサポートしてくれる。本当に働き者で勉強家なんだよ。クリエイティブにおいて、僕は上下関係を作らない主義なので、年齢や性別に関わらず、必ず自分の意見を言えるような環境作りをしてきた。

そんな中でもSは、自分の納得のいくまで議論を交わしてくる。あまりにも図星なので、僕は思わず感情的になりそうになる。だけど、僕が言い出したことだからね。「クリエイティブにおいては、ボーダーレスだ」と。そして、Sはクリエイターとして、人として、一人の女性として成長した。

とてもきれいだったよ、S。理詰めで納得いくまで、とことん議論する君は、少しチューニングを狂わすことも大切だよ。(このブログのテーマのように)あまり、旦那さんを追い込んで苦しめないように。男なんて、みんな子供なんだから。


これからは、人生のバッドチューニングを二人で歩んでほしい。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:29 | コメント (16)

フロストモンスター

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スキーシーズンがやってきた。
昨年から、再開したスキーを週末になると朝4時起きで車を走らせる。
朝に弱いはずの僕は、なぜかスキーとロケはムクッと起きることができる。


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前回、琳派をテーマにしたので、今回も引き続き真っ白な雪景色の中に琳派を見出そうとしたが、う〜ん、どうしたものか?本当に暖冬なのだ。先週は吹雪いていて、真っ白な雪景色だったのに、あまりの寒さに素手でシャッターを押す勇気がなかったことを後悔しているのだ。やはり、感動のある絵を作るには楽はないということだ。

そんなことを後悔しながら一人リフトに乗り、うなだれていると足元に針葉樹林の葉っぱに霜がかかっているではないか?これは、美しい。

慌ててホテルに戻り、コンパクトデジカメを持ち、デジタル一眼レフを襷がけに再度リフトに乗った。朝7時、太陽が昇り始めて、うっすらと葉っぱに降りた霜が解け始めるのでシャッターチャンスは数分。しかも、リフトは動いていて、下を向いて脇を締め、命がけでシャッターを切る。何カット撮ってもぶれる。猛スピードで滑り降り、またシャッターを切るという繰り返し。

この木は、オオシラビソという針葉樹で、積雪の多い日本海側の八甲田山に多くエゾマツに似ていることから、アオモリトドマツとも言われている。東北の雪深い景色で真っ白に覆われてしまうので、その姿をスノーモンスターと呼ばれている。

この木の特徴は、木の下の方には葉っぱがないので上から見ないとこのような写真は撮れないので貴重な体験をしたかもしれない。暖冬の苗場では、スノーモンスターに成りきれない、ちょっとキュートなフロストモンスターというところか。これを琳派と言えるものなのかどうか?


雪の少ない雪景色のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:07 | コメント (12)

雪景色の琳派

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恵庭岳の下流、白扇の滝からさらに南下すると漁川(いざりかわ)ダムがある。
漁川は、ラルマナイ川とイチャンコッペ川に挟まれている。
氷に覆われたダムの支流は、一部解けて優雅な曲線を作っていた。


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最近、デザインを掘り下げていくと、日本人としてのアイデンティティーが重要であるような気がしてきた。海外ブランドを身に纏うのも良いが、日本人としてのルーツを再認識したい。僕自身、世界のブランド品には興味があるので何も懐古趣味に浸るというのではなく、現代のグローバル化社会を見据えたうえで、日本人であることを意識していきたいということかな。

そこで、琳派。19世紀のヨーロッパでは、アールヌーボーが全盛であった。日本が初めて参加したパリ万国博覧会を皮切りに、浮世絵、琳派、工芸品などを次々に出品していった。面を埋め尽くさんばかりの華美な装飾を美とされていたのに対して、大胆に空間を取り入れた日本美術の手法にヨーロッパの人々は驚いた。

アメリカの経済学者、P.F.ドラッカーは日本美術の根底にあるものは、空間を重視することで、画面における余白が大きな意味を持っているという。西洋が幾何学的、中国が代数的、日本は空間がそれぞれのパーツを区分している、というように琳派は現代のデザインに通じるものがあるのかもしれない。

そして、日本美術の特色は、概念ではなく知覚、写実ではなくデザイン、幾何ではなくトポロジー、分析ではなく統合にあるとドラッカーは言う。絵画の世界では立体感のないデザイン的という言葉が日本人のコンプレックスであったらしい。僕は、なにも幾何学的な黄金分割だけが構図を支配しているのではないということと、この先人達が築いた空間的表現をとても誇りに思う。


日本人のバッドチューニングを雪景色に見つけた。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:05 | コメント (16)

氷の首飾り

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今年の札幌は暖冬で例年より雪が少なく、
白銀の雪景色を求め、車で恵庭岳方面へ向かった。


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どこを見ても雪が少なく、車で南下しているうちに恵庭岳麓にある白扇の滝へ辿り着いた。この滝は、恵庭渓谷から流れてくる渓流で、この下流では優美に扇を広げたような姿に見えることから名付けたらしい。

暖冬といっても、極寒の渓流はそこにいるだけで、体の芯から凍えてくる。

渓流の岩肌に積もった雪は氷に変わり、その冷たさがマリー・アントワネットの首飾りのようだった。自然の中で発見した氷のジュエリーは、数億円ものダイヤモンドより美しく見えた。


極寒の中のバッドチューニング。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 23:11 | コメント (12)

GIVE PEACE A CHANCE

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みなさん、新年明けましておめでとうございます。
喪に服している方は、どうぞお元気にお正月をお迎えになられますように。
僕は、今、北海道です。


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年が明け、朝起きて実家の家の前に出てみると、太陽が雪面をきらきら輝やかせていた。

世の中の嫌なことをすっかり忘れさせてくれるのが白の力。この白い雪景色を見ていると無へとリセットさせてくれる。一年の始まりの日にふさわしい白は、どんな色にも染めることができる。

真っ白なキャンバスに「ここに青空があると思ってごらん!」と言ったのは、オノ・ヨーコだった。それに触発されて、ジョン・レノンはイマジンという曲を作った。

元日の朝に見た真っ白なキャンバスに、今年もみなさんとさまざまな色を描いていきましょう。そして、平和な世の中を目指して。GIVE PEACE A CHANCE.(ジョンとヨーコから)

それでは、今年もバッドチューニングをよろしくお願いします。



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 21:02 | コメント (14)

ジェラス・ガイ

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クリスマスイヴの休日は、町中、若いカップルで賑わっていた。
以前、ジョン・レノンは、オノ・ヨーコに嫉妬してこんな曲を歌っていた。


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昔のことを夢見ていたら胸が早鐘のように高鳴った。
僕は、自制心を失いかけていた。そして、われを忘れかけていた。

傷つけるつもりはなかった。ごめんよ。きみを泣かせたりして…
傷つけたくはなかったんだ。僕は、焼きもちやきなんだよね。


ひどく心細かったんだ。きみがもう愛してくれないと思って。
心の中で震えていた。心の中でおののいていた。

きみの気を引こうとしただけなんだ。僕を避けてるように感じたから….


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赤は、師走の寒空の中で赤く染まっていた。
補色関係にある緑と赤は、混色すると真っ黒になってしまう。
(ジョン・レノン、ジェラス・ガイから)


緑と赤のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:55 | コメント (8)

愛がそこにありますように…

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師走も終わりに迫っているというのに
暖かく長閑な休日だった。
緑と赤はどうしているのだろう?


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空を見上げると、赤はみんなの注目の的だった。
黄金色に輝き、誰もが振り向くビューティフルレディ。
そして、緑は赤を羨望の眼差しで見上げた。

あの空を蹴破って穴を開け、天が僕の上に涙を落とせるようにしたのは誰だ?
と頭の中でオアシスのサウンドが鳴り響く。


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緑は、もう自分は必要ないと思い、風の吹く方向へ船を出した。

疲れ切った瞳をもう一度輝かせて….
世界は君を待っている。
君の夢が虚ろな空を満たしてくれるならいいのに…
だけど、君がそれで幸せなら、手を叩き続ければいい。
これだけは忘れないで、僕は君の見方だよ。
Let there be love….Oasis


緑と赤の儚い恋のバッドチューニング。


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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:03 | コメント (22)

緑と赤が結ばれる時

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その後の緑と赤の関係を知りたくて、
紅葉の名所、小石川後楽園へ行ってみた。


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緑はソファに腰掛け、新聞を読んでいた。新聞超しに見える赤は、なんだか陽気にはしゃいでいた。趣味も性格もまったく合わない二人であったが、とても波長が合っていた。特に地味でシャイな性格の緑は陽気な彼女といると、表情には出さないが心が昂揚した。今まで緑だけで生活していた世界が見違えるほどいきいきとしてきた。これが幸せってものなのか?


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彼女は、とても幸せだった。無口な緑と過ごしていても、ちっとも退屈ではなかった。むしろ、クスクス笑い、黙って赤の話を聞いてくれる緑が好きだった。赤は聞いた。「どう?このワンピース」とスカートの両端をつまみ、身を翻した。「いいんじゃない」と緑は言った。


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と、こんな感じで緑と赤は、お互いが重なり合うと真っ黒になってしまう、とても危険な関係だ。でも、こうやって見るとお互いが引き立て合って、活気に満ちているんだよね。(今回は、レイモンド・カーヴァー風)


恋のバッドチューニングはつづく….



★みなさんからのコメントをお待ちしております。

投稿者 hidetoshi shinohara : 20:42 | コメント (24)

赤が緑に恋をする時

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ここしばらく、緑と赤の関係が気になってしょうがない。
前回のブログの写真を使って、赤をメインにしたらどうなるのだろうと思い、
緑の写真をパソコンでネガティブに反転してみた。


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なんと、彼女は赤い花柄のワンピースを着た素敵な女性だった。しかも、その花柄の隙間からは彼女のまわりをパッと明るくするオーラが出ている。緑の無骨な男は眩しくて、彼女を直視できなかった….

こんなイメージが湧いてきたので、ただ色を反転するするだけでは、気が済まなくなってしまった。花びらの隙間に光輝くオーラを発してみたくなったのだ。(正確にはこんな花びらはない、緑の葉っぱを反転したのだから)白く発光した光は後で画像処理を施したもの。

なんて、女性的なんだろう。そこに小さな緑が散りばめられると、赤はさらに生き生きとしてきた。


これはもしかして、あの恋のバッドチューニング?



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投稿者 hidetoshi shinohara : 14:46 | コメント (14)

緑と赤のグッドな関係

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東京のあるウェディング会場のロケで
モデルのメイク待ちの合間に撮った中庭の写真。
緑の葉っぱの中に赤い花びらが、そよ風に乗って飛んできた。


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あるところに、緑というジェントルでインテリジェンスな男がいた。この男は、本を読むことしか能がないクソ真面目なヤツだった。今、流行のちょい悪オヤジとは、ほど遠い男だった。そこへ、赤という陽気で可憐な女性が現れた。緑の男は赤い彼女に恋をした。彼は、平凡で何の変化もない日常が急に生き生きとしてきた。内に秘める、燃えるような恋だった….

単純な緑というよりも深みのあるブルーグリーン。これが、ルドルフ・シュタイナーのいうところの「緑は一層飽和し、生き生きとしてくる」ということか?このくらい、緑の面積が多いと主体となるテーマが明確になる。

バッドチューニングという言葉が、ネイティブな英語としてどうなのか、知り合いのさらに知り合いのアメリカ人に聞いてもらった。BADとは、口語で「かっこいい」という意味もあるらしい。


まさに、この緑と赤はバッドチューニングだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:19 | コメント (12)

自然のコーディネート

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北海道の旅の終わりで、一足先に紅葉を見た。
まだ、青々と茂る雑草の上にハラリと落ちた一枚の葉っぱ。
どうってことない雑草に彩りを添える。


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寒いところ程、葉っぱは赤みを増すというようなことを聞いたことがあるけれど、まだ、地面が青々としている場所にこんな真っ赤な葉っぱが落ちることは、東京では見られないのではないだろうか?

色彩学的に言えば、緑と赤は補色にあたる。色相色環という理論があって、マンセルシステムを例にとると、時計の12時位に赤があり、6時位に緑がある。まったく、反対側にあるために反対色ともいう。

この緑と赤の配色は、とても難しく、ジャケットが緑でパンツが赤なんてコーディネートしたら、それはもうチンドン屋なんだよね。

ルドルフ・シュタイナーによれば、「緑の広大な牧場をイメージするとそこには何も感情的なものは沸き起こらないけれど、そこに赤い服を来た人が数人歩くと、急に緑は一層飽和し、生き生きとしてくる」と言っている。

マンセルシステムの3時位にあるのが黄色。12時の赤と3時の黄は、比較的近い位置にあり、暖色というグループで括れる。でも、赤と緑は暖色と寒色の組み合わせ。だから、テーマがどちらにあるのか分からず、使い方が難しい。

そんな時は、緑の面積を多くして、赤を少なめにポイントとして使うと、より緑を生き生きとさせるのかもしれない。


高度な配色のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 18:06 | コメント (20)

神々が住む山

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地球岬をあとに、車で昭和新山を抜けて、
支笏湖方面へ向かうとホロホロ山が見えてきた。
ここは、白老の山々を司る神、ヌプリコルカムイが住むところ。


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この神は、日高山脈に住む白熊の姿をした神。別名、レタルカムイ(白い神)とも言うらしい。この響きの良い山名のホロホロは、フクロウの鳴き声によるものと言われている。

この神を見ると途端に突風が吹くが、人間はその風に吹き飛ばされても決して、怪我をすることがないのだそうだ。また、この神は人間の女と恋愛をしたとも伝えられている。

国道453号線を北上していくと右手にこの山が見える。雲がかかって見えなかった山が、だんだんと晴れ渡り、山頂が姿をあらわした。僕は、ヌプリコルカムイを見たのだろうか?この神が、山頂の雲を吹き飛ばしてくれたに違いない。


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車を止め、降りて、後ろを振り返ると、山の向こう側も雲が遠ざかっていく。僕を中心にモーゼの十戒のように雲がさーっと左右に分かれていった。山々に挟まれて、耳を澄ますと、気のせいかホロホロ〜、ホロホロ〜、と聞こえるような気がする。

東京では、今頃、通勤ラッシュで慌ただしいだろう。時を同じくして、こんなに静かで神聖な場所があるなんて。


これは、時空を超えたバッドチューニングだ。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:50 | コメント (6)

渡り鳥の想い

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この地域は、渡り鳥のルート上にあり、
その渡り鳥を狙ったハヤブサの営巣地としても知られる。
運が良ければ、春から秋にかけて
回遊するイルカやクジラが見えることもある。


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室蘭の地球岬に立っていると、ここは北海道なのだと実感する。僕の祖先は、どうやって津軽海峡を渡って極寒の地へ辿り着いたのだろうか?

あいにく、どんよりとした曇り空。神様が申し訳なく思ったのか、向こう岸を少し照らしてくれる。あちらに見えるのは駒ヶ岳で、向こう側には函館がある。左側には、かすかに青森の下北半島が見える。


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そんなことを考え、海を見渡していると、先程までの曇り空が嘘のように晴れ、青空が広がった。ありがちな風景だけど、青い空に白い灯台が映える。

僕も海を渡って、30年。祖先は、北海道にロマンを抱いて渡ってきたけど、僕は、東京へロマンを抱き、渡っていった。なんだか、不思議だよね。


まだまだ、ロマンは続く、渡り鳥のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:24 | コメント (4)

小さな森のドラミング

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湿原の森に小さな沼があった。
ポロト湖の脇にある、小さな、小さなポント沼から、
木をつつく、キツツキのドラミングが水面に響き渡る。


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このあたりは、湿原なので枯木が多く、虫もたくさん寄生しており、キツツキにとっても冬の食料貯蔵庫となっているようだ。

ここに生息するキツツキは、アカゲラというらしい。あまり人を恐れず、近くまで来て、トントンしていることもあるという。木々を見るとアカゲラが住んでいたと思われる樹洞がたくさんあり、そのお下がりを他の鳥達がリフォームして使用しているらしい。

それにもしても静かだ。車の騒音も、OA機器のノイズもなく、誰かを恫喝して声を荒げている人もいない。姿は見えないけれど、トントンッ、トントンッ、と木をつつく音が、静かな湖畔にリズミカルに響き渡る。

都会で、勝ち組、負け組などと言っていることが、バカらしくなったりしないだろうか?いや、そういう人達をここへ連れて来ても、きっとこの軽やかなドラミングは聞こえないだろう。そう、心の清らかな人にしか、聞こえないに違いない。

後程、調べたところ、アカゲラは赤、白、黒のコントラストが美しいモダンデザインの配色であった。緑の森の配色には、似つかわしくない、とてもおしゃれな装いだった。


静かな湖畔のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03 | コメント (11)

湖畔で生きる

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ポロト湖畔には、鮮やかなマリーゴールドが咲いていた。
北国は10月だというのに、花は満面の笑みを浮かべて、
僕に微笑みかけてくれる。
この花の花言葉は「生きる」だ。


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これは、フレンチマリーゴールドという品種のようだ。5月〜10月まで咲く、多年性植物。最初はパリのフランシス王の庭園に入り、各国に流れたということだ。観賞用としてもきれいだが、根に線虫の防虫効果があるということから、作物の間に植えられることもあるらしい。

マリーゴールドの名前の由来は、聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」と呼ばれている。マリアのゴールドで、Mary’ gold。17世紀ころの絵画によく登場する。

第二次世界大戦中にイギリス空軍パイロットが、偶然ブルーベリーを食べて、視力が良くなったという話は有名だ。その話を聞いた、ある製薬会社がそれを上回る効果をもつものを捜していたところ、マリーゴールドの花びらから抽出されたということだ。

その成分から、暗順応改善薬「アダプチノール」が作られて、現在では目の薬として使用されているそうだ。

それにしてもこんな空気が澄み切った青緑が多い湖畔の風景に、寒々しさを補うかのように鮮やかに咲いている。

仕事でカラーリングを考えている時、まずはテーマカラーの同系色でコーディネートする。それから、スパイスとしてワンポイント、反対色を入れるとそのデザインが急に力強く生き生きと甦る時がある。

一歩、間違うと、目が痛くなる程の強烈なハレーションを引き起こす際どい配色。だから、力強く「生きる」なのか?


自然界で見た配色のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:22 | コメント (6)

野菊の湖

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父は言った、「野菊だ」と。
僕は、相変わらずそんなところは見ていなかった。
白老のアイヌ部落の近くにある、
ポロト湖という美しい湖に来ていた。


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クリエイティブに関わっている僕は、若い頃、「ニューヨークだ」、「ロンドンだ」などと言っていた。子供の頃、家族でドライブに行っても心はそこにあらず、作りかけのプラモデルのことやビートルズのレコードジャケットのデザインは誰が手がけたかを心配していたものだ。

「いつかは、ビッグになってやる。親父みたいなサラリーマンになんかなるものか」と親の苦労も知らず、思ったものだ。しかし、そんな生意気な小僧は、いつしか大人になり、野菊の美しさに感動するどころか、側にいた父の「野菊だ」という感受性に驚愕した。


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僕は、その言葉に反応して、デジカメを野菊に近づけて、できるだけクローズアップにして撮った。肉眼で見るとただの雑草にしか見えない、小さな、小さな野菊。

この風景の主役は、あくまでもポロト湖。確かに美しい。それを横目にこの野菊は、北国の秋を迎えても、いじらしいくらい逞しく風に揺られて咲いている。


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そういえば、中学の時、読んだ「野菊の墓」は、たしかこんなだったと思う。主人公は、年上の恋人に『ここに野菊が』というが、彼女は足を止めず、すたすた先へ行ってしまう。

それは、幸が薄い恋人が先に死んでしまって、追憶をしているシーンであった。さらに思う。『彼女は野菊のような人であった。そして、田舎風ではあったが、けっして粗野ではなかった。可憐で優しく品格もあった。厭味もなく、どう見ても野菊のようだ。』と…


いまだ、父の感受性を超えていない、我がまま息子のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:49 | コメント (10)

陽のあたらない風景

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小樽の観光スポットからしばらく歩いてみた。
オルゴール堂や北一硝子から、ちょっと離れた路地裏だ。
そこは、人通りもなくひっそりと静まりかえっている。


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裏通りを歩いていて左の空き地に目をやると、そこはレンタカーショップの車置き場の空き地だった。レンタカーショップといっても、小樽ならではの古びた石造りの建物で風情を生かしたまま営業している。

ドアにレンタカーと小さく、プレートが貼り付いていたけれど、東京のように看板が大きくあるわけでもなく、のぼりも立っているわけでもない。ひっそりしていて、もしかして北海道は景気が悪くて、潰れてしまったのでは?と思うほどだ。

遠くから窓を覗くと、裸電球が煌々と光っていて、どうやら営業しているようだ。中の人々は忙しそうに電話の応対に追われている。僕は、そのレンタカー置き場のスペースを無断で借りて三脚を立て、隣の古い廃墟と化した建物を無心で撮影した。

ぼーっと、その壁を見つめていると時間が経つのもすっかり忘れ、陽が沈みかけてきた。この時間帯が写真では色味が青白く映り、ただの壁もひと味違った情景になる。

気のせいかもしれないが、じっと、ファインダーを覗いて陽が沈みかけていく瞬間を待っている間、遠くの方からニシン漁で活気を帯びた海の男達の声が、時を超えて聞こえてくる。

いつの間にか、ただの廃墟と思っていた古びた壁が、何か独特の表情を帯びてきた。時計を見ると30分近く、古壁を見つめていた。


時を超えた壁のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 13:41 | コメント (6)

おるごーる工房

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小樽オルゴール堂、1号館の脇におるごーる工房という建物があった。
中では、数人の人達が手作りでオルゴールを作っていた。


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それにしてもこの建物、一体、もとは何だったのだろう?倉庫としては、大きくはない。ただの民家だったのか?

小さな、小さな工房。オーバーオールのジーンズに工具を持って、ひたすらオルゴールを組み立てている姿がとても似合っている。まるで、ピノキオのゼペット爺さんのように。

オルゴールは、1796年スイスで誕生したそうだ。時計職人のアントワーヌ・ファーブルが小さな懐中時計に演奏装置を組み込む為に考え出したようだ。

そいえば、映画、「夕日のガンマン」で懐中時計の蓋を開けるとオルゴールが鳴り、それが鳴りやむと決闘の合図で、目にも止まらぬ早業で銃を抜き取って撃ち合うというシーンがあった。

その賞金稼ぎの殺し屋ガンマンが手にする懐中時計の裏蓋には、愛する人の写真があり、物悲しいメロディーを奏でて、殺し屋の性を感じさせる。

オルゴールは、懐中時計から一躍、ヨーロッパの貴族を中心として、職人達が顧客を得て一大産業を生み出したようだ。


どこか、物悲しさを感じるバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:59 | コメント (5)

フェアグランド・オルガン

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小樽オルゴール堂で見た、
大きなアンティークのオルガン。
1895年〜1930年頃、ベルギーで使われていたらしい。


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とても大きな音が出るオルガンで、メリーゴーランド、カーニバル、サーカス、スケートリンク、遊園地といった娯楽施設で用いられることが多かったことから、フェアグランド・オルガンと呼ばれていたそうだ。

この大きくて装飾的なオルガンは、電動のエアコンプレッサーによる空気とブック式の楽譜で、木製パイプを鳴らす。フェアグランド・オルガンは、自動演奏楽器の中では古い歴史を持ち、1700年前半から作られていた。

このオルガンの前にいる、おにいさん、とても上品で凛々しいではありませんか?100年もの間、このオルガンの見張り番をしてきたようだ。ずっと、歳もとらずに背筋を伸ばして、シャッキとした姿勢は見習わなくてはならない。ちょっと、ファッションセンスとヘアスタイルは時代遅れだけど。

メリーゴーランド、カーニバル、サーカス、スケートリンクと聞くと、その言葉の響きにときめいて、今でも異次元の情景を喚起してくれる。日常では味わえない、雰囲気。そこには、子供のころ味わった、お伽の世界があるのかもしれない。

そんな異次元空間で演奏されるオルガンはどんなだったろう?カーニバルやサーカスが繰り広げられる、賑やかな喧噪の中で、誰が聞いているのかも分からないのに永遠と演奏し続ける、自動演奏オルガン。

それにしてもこのフェアグランド・オルガン、全体の大きさはアップライトピアノくらいの大きさはある。今のような電動工具がなかったと思うが、精巧さには驚かされる。ハイテク時代にはない味わい深さ。


時代を超えた工芸品のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 11:07 | コメント (10)

小樽オルゴール堂

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3連休は、実家のある札幌へ行った。
久々に小樽へ行ってみた。
アイヌ語でオタルナイ(砂浜の中の川)と呼んでいたらしい。
そんなことも知らず、子供のころは、
小樽の銭函という海水浴場へよく行ったものだ。


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まずは、小樽オルゴール堂へ。明治45年建造で北海道一の精米会社「共成」の社屋だったそうだ。これはルネッサンス様式を取り入れた建築になっている。

ルネッサンス建築とは、フィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた様式のことをいう。この様式は人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築を理論づけたものらしい。

そういえば、ローマへ行った時、窓や入口にはアーチが多く、建築を英語でarchitectureというが、もともとは、ラテン語でアーチとテクニックかテクスチャーを合成した言葉だと聞いた。(記憶が定かではないので、誰か教えてください)

だから、日本語の建築とは、語源になる言葉の意味が違うのかもしれない。建築は「建てる」と「築く」と書く。ここが日本と西欧文化の大きな違いのはずなのに、なぜ、言葉の意味を捨ててまで、近代化を急速に進めたのだろう?

小樽繁栄のルーツはニシン漁にあり、小樽の多くの古い建物は倉庫として使われていた。鎖国が解かれて、明治に北海道開拓が本格化すると玄関港として発展する。明治政府の国策として、世界中の舶来文化が怒濤のごとく押し寄せてきた時代でもあった。

そして、戦後、小樽は漁業と共に衰退し、都市が札幌へと移行していった。今、小樽は、かつての繁栄が異国情緒の町並みを醸し出して、見事に復活を遂げた。


古い街並みのバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:17 | コメント (4)

本当に大切なものは、目には見えない

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誰もが知っている、ある宅急便サービスの企業広告の依頼を受けた。
オーダーは、新しい企業の顔を作ること。
内容は、プレゼン前なのでヒ・ミ・ツッ!


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宅急便サービスは、どこも荷物を届けるというサービスが商品であり、同じようなサービスである。では、お客さんから見てそのサービスを選ぶ時の基準は何なのか?荷物を届けるのは当たり前で、お客さまの立場になって「真心」や「ありがとう」を届けることができるかどうかではないだろうか?でも、「真心」という言葉を口に出すと、とても気恥ずかしい気がする。

そんな企画を考えている時にある物語を思い出した。サンテグジュペリの「星の王子様」である。この物語で「本当に大切なものは、目には見えない」というテーマが今さながら、じ〜んと心に響く。

大人になって、この物語を再度、読むきっかけとなったのは、10年位前に箱根へ行ったとき、たまたま「星の王子様ミュージアム」へ立ち寄ってからである。このミュージアムでその後の僕の人生を変えた。

それまで『メジャーになる』だの『ビッグになってやる』だのと粋がっていた僕は、「本当に大切なもの」が見えていなかったのかもしれない。それを企業に変わって伝えていくのが、僕達の仕事であるはずなのに。でも、当時の僕は、この物語に出てくるさまざまな星の住人と同じであった。

物語の中で、6番目の星に住んでいる地理学者の話。星の王子様は訊ねる。「きれいな星ですね。この星には海がありますか?」地理学者は、「知らんよ、そんなことは」と答える。それを調べるのは探検家の仕事だというのだ。

企画を通じて、この物語を改めて思い出させてくれたけど、大人になると本当に大切なものが見えてこなくなるものですよね。


つまらない大人にはなりたくない、大人のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:14 | コメント (6)

森の中の妖精

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先月、青山のアニエスベーヘ行った。
アニエスベーパルコ店がなくなり、
有楽町マリオンのアニエスベーオムもなくなり、
メンズものを捜しに青山本店へ行った。
心の中では、「どうしてメンズは選択肢が狭いのだ」とぼやきながら。


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服を買うつもりで行ったのにそこで見たのは、不思議な人形達。この秋から再スタートする「アニエスベーロリータ」と「エコール」という映画とのタイアップで、その映画にインスピレーションを受けた人形作家、陽月さんと人形作家であり写真家でもある吉田良さんのコラボレーションということである。

僕は、ロリータの趣味はないけれど、森とか妖精とか、不思議という言葉に惹き付けられるのである。映画のカットシーンとストーリーを写真と人形で展示してあったけど、思わず映像の美しさに見入ってしまった。

奥深い森の中、小鳥がさえずり、さらに奥深い道を進んでいくと、とても美しい、まるで眠れる森の美女のお城のような大きな屋敷がある。そこから地下へと続く道があり屋敷の廊下へと続く。物語は、この外界から完全に隔離された屋敷に6歳の少女イリスが棺の中に入れられて運ばれて来るところから始まる。

ほら、もうおとぎの世界へ旅立ってしまうでしょう。不思議な気分にさせられるキーワード。「奥深い森」「小鳥のさえずり」「眠れる森の美女」「お城」そして、地下へ続く…こわいですね〜。何かが起こりそうですね〜。しかもおきまりの「棺」がでてくると完全なファンタジー。

都会のど真ん中で、時間が経つのも忘れ、あっという間に森の中へ旅だってしまった僕は、あまりにも単純すぎるのであろうか?そうだ、僕はファンタジーが好きだったのだ。子供の頃、よく「ぼーっ」としていると言われたものだ。昔から変わらないのは、僕は空想している時が一番楽しいのかもしれない。


都会のど真ん中で見た、言葉と映像と人形のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:17 | コメント (6)

考える椅子

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人間は、考える葦である。とパスカルは言った。
ベランダのウッドデッキに置かれた椅子を見ていると、
どこか遠くを見つめて、人生の儚さを考えているように見える。


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ただの椅子だって?そう、ただの木でできた、よくあるガーデンチェア。これをただの椅子という物質にしか見えない人もいるかもしれない。パスカルは、このような単なるガーデンチェアを見て思考をめぐらす人のことを「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない」けれど、「考える葦」でもあると言っているのではないか。

人間は、自然の猛威にはひとたまりもなく押しつぶされてしまう。だけど、人間は、その猛威を知っていて、恐怖を感じ取ることもでき、身を守ろうとする智慧さえも持っている。この椅子を見て、イマジネーションを喚起することもできる。そんな脆くて儚い葦は、考えることもできるのだと、パスカルは言う。

デザインだって、たんなるセンスだけでは済まされない。たった一本の線、色、形、書体のセレクト、写真のトリミングやレイアウト、全体のテーマ、ターゲット、市場、競合…を考えていかなければならない。クライアントの一言で木っ端微塵にも儚く消えて行くアイデア達。だけど、クライアントを説得して、「うむっ!」と言わせるのが、考える葦なのだ。

そう、我々の尊厳は全て思考のうちにあるのだから、デザインももっともっと考えよう。考える葦は、考えるデザイン。どうすれば心の奥深くに響くのか?


バッドチューニングなデザインを目指して。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:05 | コメント (4)

表情のある窓

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木枠の白い窓がいい。この窓は、絵に描いたような窓のデザインだ。
子供の頃、画用紙にクレヨンで家の絵を描いたら、
窓は必ず四角くクロス状にバッテンを入れたものだ。
こんな小さな窓を久方振りに見た。
心のどこかにしまっておいた理想の窓。僕の心のふるさとだ。


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こんな窓が、日本のどこにあろうか?この窓は、家の外の世界を四季折々にトリミングしてくれるフォトフレームのようである。いつから、日本は家の中に絵を飾る習慣がなくなったのだろうか?機能的合理主義のサッシは、確かに木枠の窓のようにきしみもなければ、開け閉めに苦労することもない。

しかし、その苦労が良いのではないか?あまりにも便利になりすぎて少しくらい、人間が窓に力を貸して上げてもいいではないか?自分達の日常に追われて、自分達のことだけしか考えていない現代人。少しは、窓の気持ちになってみよう。

「おれが四季の風景を楽しませてやってる」とか、「私がいなければ、家の中に風だって入ってこないのよ」なんて、この窓は恩着せがましいことも言わない。おとなしくじっとしているのだ。きっと、冬は隙間風で寒いかもしれない。それが冬というものだ。そんな時は、少々かっこ悪いが、おばあちゃんが編んだ紫のラメ入り毛糸のパンツを履けばいい。

この窓は、老子の言葉を守っている。「愛すること」「あまり欲張らないこと」「人の先に立とうとしないで、自分のペースで生きること」老子は、これを「三つの宝」と言っているそうだ。どうだい?えーっ?人間のみなさん?少しは見習ったらどうだい?


ココロの窓のバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 10:15 | コメント (8)

薪ストーブのある家

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ふたたび、フィンランドのホンカという家の話。
けっして、ホンカのまわし者ではありません。
北海道で育った僕は、なぜか北欧の家の作りがどこか懐かしさを感じるのである。


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すっかり、肌寒くなり秋めいてきた今日この頃、僕の心は寂しさで一杯だ。秋が嫌いだ。なぜかって?あんなに梅雨明けが待ち遠しくて、やっと夏が来て、「あちーっ!」と言いながら、燦々たる太陽の陽を浴びている方が幸せを感じるからだ。

秋が嫌いと言っても好きかもしれない。どっちなんだ。つまり、こういうことだ。秋という情景は好きなのだが、秋が来ると冬が来て、『今年が終わる』という1年の後半が猛烈に過ぎ去っていくスピードが嫌いなのかもしれない。秋が来ると今年1年、まだまだやり残したことがあり、焦って恐れおののくのかもしれない。

僕は、年の初めに毎年予言する。「今年は、もう終わる」と。その予言が9月になり、10月になると予言通り刻々と近づいてくるのである。恐怖の秋。特に今日みたいに雨がぱらぱら降っていると、寂しさと恐怖で心臓がきゅーっと縮こまってしまう。まるで世紀末のように。

1年の後半が短すぎる。真夏が8月じゃなくて、1年のセンターの6月だといいんだけど。7月に台風が来て、8月に秋が来る。9月からじっくりと冬に突入していくと後半がたっぷりあり、安心する。

子供の頃、北海道は9月の後半に入るとストーブに火を灯した。今でこそ、東京と変わらず新建材を使用して、セントラルヒーティングで暖房が完備されているが、当時は薪ストーブ。

外は寒いが、家に帰ってくると薪ストーブの煌々と燃える火を見つめながら、大きなマグカップに入ったホットミルクを両手で抱えて飲み、お袋が作ったオーブンで焼きたてのクッキーを口一杯に頬張る。それが、秋から冬支度に入る北国の情景。

薪ストーブの火を見つめていると時が経つのを忘れる。傍らで、おばあちゃんは僕のために毛糸の手袋を編んでいる。しかも丁寧に片方の手袋を無くさないために毛糸の紐で糸電話のように繋げておいてくれる。

東京は、空調が完備されていて家の中にいると暑いのか寒いのかも分からない。ホンカの住宅展示場にいて、薪ストーブを見つめているとそんな子供時代の秋の情景を思い出す。フィンランドの人々も同じ地球のどこかで、同じような北国の家族の光景があるのだろうか?と思いを馳せる。


嫌いだけど好きな秋のバッドチューニング。

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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:44

フィンランドのホンカという家

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先週、山中湖でフィンランドの住宅メーカー、ホンカの住宅展示会を見て来た。
ログハウス調と聞いていたので、80年代に流行ったペンションやキコリのイメージがあり、あまり好みではないのではないかと期待もせずに行った。


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好みじゃないのになぜ、行ったかって?そりゃあ〜、フィンランドが好きだからだぜ、ダンナ〜。北海道出身の僕は、30年もの間、地方出身者の田舎臭さを拭いさるために何かと都会ぶっていたものだ。

自分にキャッチフレーズをつけるなら、「アーバンで銀座でシャープでクールでダンディで時代を駆け抜ける男」というところかな。ところが、この年齢になると粋がって都会ぶっていることが、カッコ悪いと思うようになってきた。

ホンカという住宅メーカーがこだわっているのは、ポーラーパインという北極に近い松の木を使っているのが特徴。最初、見た目はカントリー調だったので、僕のタイプじゃないと思っていたけれど、しばらく家の中にいると心地良くなってくる。

そういえば、森林浴をすれば、木からフィトンチッドという芳香成分が出ていて、その香りが脳に伝達されて心がゆったりと和らいでいくというのを本で読んだことがある。その証拠にキコリが都会へ出て来てしばらく生活したところ、原因不明の頭痛に見舞われ不眠症になったという話もある。そのキコリは、森へ帰ったところたちまち頭痛が治ってしまったそうだ。

都会のコンクリートジャングルで、ストレスが溜まってイライラしている人は、週末に森へ行って森林浴を行うと気分が晴れるというのだ。

また、木は木材になっても生き続け呼吸している。湿度が高くなると湿気を吸収し、湿度が低くなると水分を放出するそうだ。カビやダニ、結露の発生をおさえ、断熱性能を発揮し、夏は涼しく冬は暖かい。

木は、火災に弱いイメージがあるが、木の表面が燃えて炭素の層を作ることで耐火性を発揮するらしい。新建材のような、燃焼による有毒ガスの発生はないということだ。耐久性に関してもフィンランドでは、400年以上も生き続けている家もあるらしい。日本では、この家と類似構造を持つ正倉院は、1000年以上の時を経ても健在である。

僕は、ホンカという住宅メーカーのまわし者でも仕事でも何の関わりもないが、だんだんこの展示場にいると木の香りと雰囲気がとても心地良くなってきた。フィンランド好きの僕は、こんな仕事に関わってみたいと思った。


ちょっと、カントリー調の心地良いバッドチューニング。



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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:48 | コメント (6)

下を向いて歩こうよ♪

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美しい映像を生み出すには、外人モデルを使ったり、海外ロケへ行ったり、大掛かりなスタジオセットで莫大にお金をかけなければ作れないのか?そんな疑問が生じたことがあり、ちょっと、なにげに、ふらりと、「日常の見慣れた風景の中に美を発見する」旅に出たことがある。


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旅と行っても、当社のエレベーターホールを一歩出ただけの車道なんですけどね。ほら、よく一時停止の白いラインがあるじゃないですか?僕は、そこに惹き付けられるようにカメラを三脚に取付けて地面に這いつくばった。

レンズと地面の距離は、3cmくらい。夢中でシャッターを切った。周囲の視線が気になる。その間、5秒。(もっと、時間が経っていたかもしれないが、そのくらいに感じた)僕の背後からは、車が来ていきなり「ブーっ!」とクラクション。僕は海老反りに飛び上がって、命からがらカメラをかかえ、逃げてきた。

後日、現像があがって(この時はブローニーポジで撮影)ルーペで見てみると、今まで見た事もない光景が広がった。見る人によって、これが、美しいとか、かっこいいと思うかどうか、分からない。

アイデアを考える段階で、すぐに有名タレント、巨匠フォトグラファー、海外ロケ、大掛かりなスタジオセット、外人モデルのオーディション…確かに、華やかで自分が業界人で普通の人とは違うという優越感。僕も正直、心のどこかにある。

僕たちは、あまりにも身近すぎて気が付かなかったことに目を向けるべきではないかと思う。そして、優越感よりも普通の人の普通の感覚を持ちつつも、違った視点で物事を捉えられる洞察力こそ大切にしなければならいと思う。

といいつつも、華やかなタレント撮影も大好きな、気持ちが揺らぐ心のバッドチューニング。


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投稿者 hidetoshi shinohara : 00:50 | コメント (4)