紙媒体はどうなる?
2010年03月14日
ツイッターの出現とIT社会の激変により、10年後以内には現在の8割位に紙媒体は減るのではないだろうか?あくまでも個人的な憶測なので、なんの根拠もないけれど。
自宅の本棚から80%の書籍がなくなるのではないかと思った。これは、パレードの法則、80対20に当てはめてみたもの。前回のブログで書いた、「源実朝」を調べようと思った時、本棚の埃かぶった日本史やら歴史書を引っ張りだすよりもネットで検索して文献を調べるようになっていた。ブログを書き終わった時、目の前の本棚に詰まった大量の書籍を見て「もしかして、これはもう不要なのではないか」と思った。ネットで調べればいいテーマとネットでは入手できない書籍を大雑把に分けてみたら、20%位の書籍しか必要としなかった。
いつの時代にもこのようなことを言うと、「そんなことはない。紙は紙で生き残る」などと言う人がいる。では、過去を振り返ってみるとどうなのか?僕たちの業界では、活版印刷の時代というのがあった。職人がひとつひとつ活字文字を組んでいく時代があった。僕はその時代は知らないけれど、次に写植時代が到来した。僕がデザイナーの卵だった頃は、まだFAXも出始めで、まるで電報を打つかののごとく、電話で発注した。そのうち、FAXで送るようになったけど。
写植が現れた時、これを否定した人がいたそうだ。「印画紙に印字された文字はシャープ過ぎて味がない」と言うのだ。それが、いつの間にか、誰も活字は使わなくなった。活字は、一部の特殊印刷として残った。90年代に入ったらあっというまにMacの時代になった。画期的だった。今まで、息を止めてロットリングでコンマ数ミリの線にこだわっていたことは何だったのだろうか?この頃も「Macでデザインしたものは、みんな同じ仕上がりになって味がない」と言っていた人がいた。銀塩カメラから、デジタルになった時も「デジタルは深みがない」と否定していた人達がいた。
今、書籍や新聞はなくならないと言えるだろうか?駅貼りポスターは、電子ポスターに変わり、電車の中吊りポスターは、ドア上のモニタ表示に変わり、美容室や、銀行の待ち合い室、飛行機の機内誌は、iPadやkindleのようなものに変わるかもしれない。そもそも、エコと言いながら、多くの企業は大量の紙媒体を使って広告を打っている。クライアントの担当者には、校正刷りで何度もダメだしを食
印刷会社は赤字覚悟で何度も何度も刷り直す。刷りだしに立ち会うと、オフセット印刷では、「ちょっと赤み押さえてください」と気まぐれで言ったら、あっと言う間に100枚くらいは出てきて、また、「やっぱりもとに戻してください」と言うとまた100枚位出てくる。では、その何百枚の試し刷りの印刷はどうするのか?フォークリフトで運ばれてゴミ処理にまわされる。
あのこだわりは、何のために?誰のために?僕たちはその度に何度もそれに赤字を入れて、少々疑問を感じながらも誰も反論なんかできなかった。「そんことどうでもいいじゃないですか?」とつい言いたくなってしまう。先輩達には、それが「プロのこだわり」みたいななことを教わり、暗黙にデザイナーは眉間に皺を寄せ、印刷会社に「う〜ん、もう少し赤み押さえてください」と言う。ほんの2〜3%の誤差であっても許せない。そんなことにこだわったところで、掲載する環境光で色味が違って見えるのに。何かおかしいと思いながらも、プロとはそういうものだと信じ込んでいた。まるで、軍国主義の大日本帝国のように。みんな非国民と言われることを恐れていたのだ。
