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2009年04月
丸ビル付近を歩いていたら、天高くそびえ建つビルが目に入った。

最近、あの辺のブティック街が好きだ。東京も悪くないと思うようになった。ニューヨークの5番街みたいで、どこか高級で背筋をピンと伸ばして歩きたくなる。こんなところは、スーツで決めて高い靴を履き、踵の音がカツッ、カツッと鳴るくらいが気分がいい。
僕は、ここに相応しい人間だろうかと思った。世界の高級ブランドが並ぶ。正直、今までブランドモノと言われるものにはあまり興味がなかった。でも、ちょっと気取って店に入ってみるのもいい。「いらっしゃいませ」と店員さん。「何かお探しでも?」と言われ、「ええ、まあ。誰も持っていないモノをちょっと探していて」なんて、かっこつけてみる。もう、そんなブランドモノなんか卒業して、あくまでも誰も持っていない希少価値のあるモノだけ興味があるとでも言いたげな表情をしてみる。
ここまでは、最高の演技だ。自分でもパーフェクトだ。そのあと、目にかなったモノがなかったとでもいうような素振りをして店を出る。
店を出て、向かい側に天に向かってそびえ建つビルが視界に飛び込む。天に向かって霞んでいく様は、どこまでも永遠に続いているかのようだった。神様が「お前はここに相応しい人間か?」と説いているようだった。
僕は、自分に問いただした。いやまだだ。あのビルの見えるトップにさえも行き着いていない。下を見てはいけない。まだまだ、上を見る。そして、あの雲の上まで行ってみたい。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:10
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信じること
2009年04月
桜が去っていく。また、来年もやってくることを信じている。

多くの人は、何事もなかったように日常に戻った。僕は、まだ桜が最後の力を振り絞って、美しさを見せてくれているような気がした。満開の時だけが桜ではない。去っていく後ろ姿も美しいのである。

先週、友人とジョン・レノンのLOVEについて語り合った。僕は、この曲を中2の時から聴いている。悲しくてやるせない気持ちになった時、心を落ち着つかせてくれて希望を持つことができた。いつか、こんな愛に触れることができるのだろうかと子供心に思った。辛い時、今でも深夜、暗闇の中でLOVEを聴く。友人は「小学生の時から聴いていた」と言っていたので負けているけど。

ジョンは、ヨーコとの間に本当の愛に触れた時、愛は真実。真実は愛。愛は感じること。感じることが愛。と歌った。僕は、この詩の中に一行を付け加えたい。愛は信じること。信じることが愛だと。
人をどこまで信じるかというと様々な意見があるけど、僕は人を信じる心は大切なことだと思う。信じていけない時は、言動と行動が一致していない時。基本的に信念を持ってぶれない人を信じる。騙されない程度に。
桜は、毎年何も言わずにきれいに咲いてくれる。人が見ていようが見ていまいが…何も見返りを期待していない。人々に対して、自然に対して、野山の小鳥達や小動物に対して、愛を感じる。
桜が散っていく姿を見て、再度自分に言い聞かせた。
愛は信じること。信じることが愛。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 16:17
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また逢える
2009年04月
桜が散っていく。

仕事の打合せで下北沢の駅から代沢へ行った。帰り道、桜が満開の遊歩道を見つけた。桜吹雪がとてもきれいだった。昼下がりの住宅街に平和なひとときを見つけた。

自然と桜の周りには人が集まり、周りを明るくしてくれる。桜がそこにいるだけで気分が高揚してくる。僕は喧噪の人々をよそに一人離れて、満面の笑みを浮かべた桜の木の下に立って見上げてみた。どうか僕を抱き寄せておくれ。こんなに人気者の桜を一人占めしたい。

そこへ横から風が吹き付け、桜の花びらが僕の体を包み込んだ。目をつぶって見ると、瞼裏のスクリーンには、灯台がある丘の海の情景。真昼の北国の日本海は海面をキラキラと太陽が照らす。何もない、誰もいない。潮風が僕を抱きしめる。そんな心地良さが時を超え、場所を超え、オーバーラップした。
今年も桜に逢っているときは、こんなにも美しく心躍らせてくれるのに、お別れは必ずやってくる。でも、きっと逢える。また、必ず逢えると想いながら桜の後姿が切ない。
桜はくるっと振り向き、僕に微笑みかけた。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:35
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変わらないコト、変わったコト
2009年04月
今年も桜が咲いた。

毎年、相変わらず確実に咲く。自宅近くの小石川でも桜が咲いた。通称、桜並木通りといわれる播磨坂。こうやって、桜をあらためてみて見ると、多分、生まれた時から桜は変わっていない。ずっとずっと変わっていないんだろうな。逆に変わったコトって何だろう?

子供の頃から、僕の中には二人の自分がいた。すっごく、積極的で何かに夢中になるとなりふり構わずやり遂げてしまう自分。そうかと思えば、何かもが嫌になって、ちょっとしたことでも傷つき悩み、地獄の果てまでも落ちていってしまう。
実は、未だにそこんとこ変わっていない。だから、面倒くさいやつなんだ。自分でもわかっているんだけどどうにもならない。綺麗なものや感動的なものに出会うとはしゃぎ回るくせに…どこかで、素直になれない自分もいる。
僕は、北海道育ちだったせいか、花見の印象が薄い。東京は、入学式の季節に桜が咲いて晴々した気持ちで新学期を迎えるけれど、北国の春は雪解けでぐちゃぐちゃで美しいという印象なんか何もない。
あの汚い春の印象しか残っていなかった。北海道も5月になれば桜が咲くけどまだ寒いし、それほど花なんかに興味なかった。天真爛漫でみんなの人気者の桜を僕はちょっと遠くで見ていた。まるで、気になるあの子に声もかけられず、もじもじしていた時のように。
あの頃、桜のコトを「好き」って言えなかったけど、今なら言える。この美しくて変わらない桜を見て「好きだよ」って。そこが変わったコトかな?そして、そこがこれからも変わらないコトかな?
気がついたら、素直になった自分がいた。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 22:41
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