ある夏の日のトランプ
2008年08月
夏らしい夏も体験しないうちに、夏が終わってしまう。

ある日、毎日、夜遅くまで仕事をしているスタッフに、僕は「夜食にスイカを食べたい!」と、言った。「事務所の中で、スイカ割りをしよう!」と言うと、みんなは、「いいですねーーー!」と…Tは、すかさず、「私、波の効果音やります」と言う。さすがにやらなかったけど…
でも、仕事ばかりじゃ、みんなの青春が台無しだ。思わず、僕は、「トランプやりたい」と、つぶやく。きっと、あのヘルシンキの公園で、短い夏を楽しんでいるトランプの女の子を思い浮かべたのだろう。
食後のちょっとした30分位の息抜きのつもりが、1時間になり、2時間になり、3時間になり、4時間になり、電車がなくなるまでヒートアップしてしまった。そのうち、「勝った」「負けた」と、絶叫とともに、外では、まるで効果音のように雷が鳴り、負け方がおかしいだの、勝負どころでずるいだの、お腹がねじれるくらい、みんな笑った。
ババ抜きでは、必ず最後は、北海道出身の僕と、愛媛出身のTの二人が残り、ジョーカーの抜き合いなってしまう。二人ともカードを2枚しか持っていないのに、何度も何度もジョーカーをひいてしまう。お互い、地方出身者のサガなのか、目がカードを見つめているので、すぐばれてしまう。
それを見ていた都会育ちのITは、毎回、勝っているのに、悔しがる。なぜだ?勝っているからうれしいはずなのに、毎回、ジョーカーを引き合っている駆け引きができない、僕達を羨ましがっているのだ。
ゲームは、負ける方が楽しい事もあるようだ。仕事では、いつも厳しい要求をつきつける僕だけど、仕事を離れてボーダーレスになることがあってもいい。僕は、特別偉いわけではないのだから。失敗もするし、負けもする。若いスタッフとなんら変わらない。ただ、みんなより、多くの経験を積んできたというだけ。さてとっ!今日は、トランプ誘われてもやらないぞ!
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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:32
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まるで、ブルーベルベットのような
2008年08月
秋川渓谷で見つけた、ミステリアスな青い世界。

渓谷の風景写真を撮っていても、ちっとも面白くない。僕が、撮らなくても誰かが撮るような写真は撮りたくないと思った。デザインのメソッドに従って、どんどん削ぎ落としていくと、気がついたら膝まで川に浸かり、水面ぎりぎりのところまでレンズを近づけていた。
渓流釣りをしていた、見知らぬおじさんが近づいてくる。嫌な予感…「何かいるんですか?」とレンズを向けている方を僕の顔の横で覗き込む。僕は、心の中で『水面の表情を狙って、シャッターチャンスを待っているのだ。邪魔をしないでくれ!』と、言いたいところをぐっとこらえ、「いえっ!」とつぶやくのが精一杯だった。
おじさんは、不思議そうな顔をして通り過ぎる。やっと心を集中できる。きたーーーーーっ!この瞬間。まるで、ブルーベルベットみたい。都会では、真夏の太陽が燦々と照り返しているというのに、この谷間では日陰が青白い光を放ち、水の流れがベルベットのような光沢感を醸し出す。
僕は、青が好きだ。職業柄、時には、赤も緑も黄色も好きになる。だけど、青は特別だ。ダイヤを散りばめた夜空のように…時には、ネオ船長が人間世界に絶望し、パラダイスを求めて深海へと旅経って行ったように。どこまでも、どこまでも、宇宙の果てまでも続く、深〜い、深〜い色。この色には、果てなんかないような気がする。僕の心に輝き続け、未知なる永遠を感じさせるところが、好きなのかもしれない。
ボビー・ヴィントンの「ブルー・ベルベット」が、この青のようにどこまでも透き通った声で、僕の頭の中で鳴り響く。いつしか、僕は、妄想に駆られ、ブルーベルベットのドレスを着た女性に恋をする。『もしよかったら、僕と踊りませんか?』(今どき、くっさ〜〜〜〜っっ!)
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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:20
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子供は子供だったころ…
2008年08月
僕は、この一枚の写真を手に取る度に、映画「ベルリン・天使の詩」の
全編に流れる、囁くような詩を思い出す。

子供は子供だったころ、腕をブラブラさせ
小川は川になれ、川は河になれ、水たまりは海になれと思った。
子供は子供だったころ、自分が子供とは知らず、
すべてに魂があり、魂はひとつと思った。
子供は子供だったころ、一度よその家で目覚めた。
昔はたくさんの人が美しく見えた。今はそう見えたら僥倖。
昔ははっきりと天国が見えた。
今はぼんやりと予感するだけ。
昔は虚無など考えなかった。
今は虚無に怯える。
子供は子供だったころ、遊びに熱中した。
今は、その熱中は、自分の仕事に追われるときだけ。
子供は子供だったころ、ブルーベリーがいっぱい降ってきた。
山に登る度にもっと高い山にあこがれ、
町に行く度にもっと大きな町にあこがれた。
やたらと人見知りをした。今も人見知り。
子供は子供だったころ、木をめがけて槍投げをした。
ささった槍は今も揺れている。
「ベルリン・天使の詩」より
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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:39
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フィルターを通す
2008年08月
なぞのおじさん、ムッシュ所有の茶漉し。

いつの時代のものか判らないが、フランス製ヴィンテージ物らしい。

日本でいうと急須である。でも、これには注ぎ口がない。もしかしたら、このまま飲むのかもしれない。茶葉を入れて、お湯を注ぐ。茶葉が充分に開いたら、葉っぱが溜まったフィルターを取り出し、お茶を飲むのだろう。
いらなくなった、茶葉は捨てることになるのだが、仕事柄、コンセプトワークにとても似ているように思う。仕事に取りかかるとき、真っ暗闇のトンネルの中で、出口が見つからずにもがいている時がある。でも、諦めずに時間の許す限りこのフィルターを通していると、だんだんと見えてくる。
そもそも、コンセプトとは一体何なのか?コンセプトの意味が分かっている方とは共通の言語を持ち合わせて議論が発展していくが、そうではない方とはどうも会話が噛み合ない。コンセプトにもいろいろなプロセスや最終到達点があるが、シンプルに考えると、この茶漉しのようなものだと思う。
最初の多くの情報を、乾燥した茶葉に例えるとすると、お湯はその情報に命を吹き込むようなもの。最後にフィルターを通って、いらない茶葉を削ぎ落とし、残ったエキスがおいしいお茶となる。このおいしい部分がコンセプトなのではないだろうか?
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投稿者 hidetoshi shinohara : 02:11
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