小さな小さな花
2007年04月
気持ちを整理するために公園を歩いた。
華やいだ花壇の片隅に、目にも留まらぬ小さな小さな花を見つけた。

その名をわすれな草と言う。花径が5mm位(写真は2倍率のマクロで撮影)の小さな小さな花。じっと見つめると、特に強い風が吹いているわけでもないのに「ここだよ」って、全身に力を込めて、ぷるぷるっと揺れて合図する。
小さくても「私を忘れないで」と言っているように見える、わすれな草は、ドイツにこんな言い伝えがある。
ある日、ドナウ川のほとりを歩いていた恋人達。青年が岸辺に小さな小さな可憐な花を見つけた。青年は、その花を摘んで、彼女へプレゼントしようとした時、過って川へ落ちてしまった。必死で、岸へ泳ぎつこうとしたが、残念なことに青年は激流に飲み込まれ、力尽きてしまった。その間際、青年は彼女に「どうか、僕のことを忘れないで」と言って、小さな花を放り投げたそうだ。
目にも留まらぬ小さな花だけど、一度見たら決して、忘れることができない、ロマンチックな花。
小さな花のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 20:03
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つつじ、散る
2007年04月
今日は、朝から生憎の雨だった。
最近、すっかり、雨の日が楽しくなってしまったので、
午後からカメラを持って散歩へ出た。

れれれのれーーー!の気分。
あっ、つっ、つつじが散っているっ!

真っ赤なつつじが、雨で濡れて、黒ずんでいるアスファルトに鮮やかに映えている。見ている端から、はらりと一輪のつつじが散っていく。緑色の葉っぱと真っ赤な花びらが補色関係で、より鮮やかに色彩を彩る。雨上がりの曇天はさらに美しい。

野球のユニホームを着た中坊達は部活でしごかれ、歩道をランニングして、僕の背中越しに通り過ぎて行く。僕は、その傍らで、つつじの花びらに10センチ位まで近づき、写真を撮る。変なおじさんと思われても気にしない。君達には、この儚くて、美しい一瞬を堪能できるだけの人生経験がないだろう?(なぜ、そんなことが分かるかって。僕も君達の年頃には、つつじなんてものは視界には入ってこなかったら)

その赤いつつじは、花びらが、カーマインから、マゼンタへとグラデーションになっているのがとても美しい。もっと、顔を見せておくれ。ほらっ、恥ずかしがらずに。そうだ、いい子だ。なかなかきれいじゃないか。そんなに頬を赤らめなくなって....と、僕は、雨上がりの午後に一人つぶやいた。雨の日のつつじもいいものだ。
雨の日のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 21:33
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桜というオアシス
2007年04月
桜の満開から、一週間が経った。
あいにくの曇り空。

桜が散ってしまうのが、名残惜しい。地面に落ちた桜の楽しみ方もあるのではないかと、地面にカメラを向けた。

地面には、あれだけ人々を熱狂させた桜が、土まみれになって地面に散っていた。この上をみんな踏みつけていく。ちょと、感傷的になっていたら、曇り空だというのに突然、陽射しが桜の木を照らして、地面に木の影を作った。

気持ちが通じたのだろうか?ほんの一瞬の出来事だった。桜は、この時期、ぱあーっと咲いて、ぱあーっと散っていく。この散り際が、潔くて美しいのかもしれない。
桜が散る頃、人々は何事もなかったように日常へ戻る。さくらは、寅さんに言う。「額に汗して、汗まみれになって働く人と、いいかっこしてブラブラしている人とどっちが偉いと思うの。地道に働くってことは尊いことなのよ」
桜の季節、ついつい浮かれた気分になって、勤労意欲が少し薄れてくるが、このひとときのオアシスを堪能したら、額に汗して地道に働くこととしよう。さくらが、いや、桜が愛されるのは、そんな庶民の束の間のオアシスだからなのかもしれない。
散り際が美しい、桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 23:48
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小さな桜
2007年04月
小さな森の小さな池で、水面を眺めていると
上からハラハラと小さな桜の花びらが舞い降りて来た。

さくらを演じる倍賞千恵子さんは、「無個性という個性のある女優」と評されていたようだ。たった一枚のなんの個性もない小さな桜の花びら。

そんなことを考えていると、ぴったりと寄り添った二枚の桜が流れてきた。一枚が二枚に三枚にと、どんどん増えていく。

おいちゃん、おばちゃんが営んでいる、とらやという小さな団子屋には、さくら、博、タコ社長、寅さんのマドンナがいつも出たり入ったり、いつの間にか、商店街の人が集まり、準家族として存在する。

旅先で、寅さんは困った人を見ると「何かあったら、東京は葛飾柴又の帝釈天参道にある、とらやという小さな団子屋を尋ねて行きな。きっと、悪いようにはしねぇ」と捨て台詞を吐き、去って行く。
そんなことを言うものだから、みんな寅さんを頼って、とらやに集まる。おいちゃん、おばちゃんも、これがまた人がいいものだから、すぐ食事の支度をしてもてなす。
寅さんの恋愛談義で盛り上がったところで、突然の客は、「そろそろ時間なので…」というと、決まってさくらは「ねえ、泊まっていきなさいよ。いいでしょ」と別れを惜しむかのようだ。これが、団欒というものだ。小さな花びらもたくさん集まれば、賑やかになっていくものだ。
小さな桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:49
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ああ、さくら!
2007年04月
昨日の豪雨で、あの小さな森の桜が気になって、
早起きして見に行った。やっぱり!

さくらって、いつも可愛そう。ある日、さくらと博は、おいちゃん、おばちゃんに、額に汗してコツコツためたお金で、念願叶って家を建てるという話をしている。

そこへ、寅さん、気まぐれに放浪の旅から帰ってきて、その話に割り込む。「割り箸みたいな細い柱立ててよ。安いせんべいみたいな壁をぺこぺこまわりに貼り付けて、中へお住みになるんですか?(中略)家なんか建てようなんて、生意気なことはやめろ!」と毒舌を吐く。

「言っていいことと悪いことがあるのよ、お兄ちゃん!そりゃ、私達の建てる家なんて、どうせ安普請よ。そよ風が吹いたら、倒れるかもしれないわ、(中略)私達が毎日のおかずを節約して、五年かかって貯めたお金をもとにして(中略)….」
「でもね、私達の家は真面目に働いたお金で建てるのよ。私達は、自分の家が持てるから、嬉しくてしょうがないのよ。お兄ちゃん、どうして、さくらがんばれよって…..そう言ってくれないの......」と、さくらは、泣き出す。僕も泣き出す。
寅さんは、自分がフーテンで、さくらに何もしてあげられないことの裏返しで、あんなひどいことを言ってしまったのかもしれない。雨の後のさくら、いや桜は、なんだか背中を向けて、しくしくないているようで物悲しい。
雨桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 15:30
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桜が去っていく
2007年04月
夕方から、豪雨だという。
雨が降らないうちに近くの森へ、桜を見に行った。

なんと、かなり散っているではないか。小さな森の池には、桜の花びらが浮いて、どこかへ流れていく。恋い焦がれた、桜が去っていく。

寅さんが、なぜ、48回も失恋し続けたかって?実は、永遠の憧れの女性は、さくらだったからという説がある。妹への思慕は、禁忌だから放浪の旅へ出るしかないということなのだ。
流れ去るさくら、いや、桜を見ていると、水面に映った、山吹の花の鮮やかな黄色が、まるで、太陽のように明るく破天荒な寅さんのようでもある。そして、さくらは、一歩下がって、見守り優しく癒してくれる。寅さんは、そんな女性を求めて、あてのない放浪の旅にでる。

僕は、そんな桜を見届けて、小さな池を後にした。途中の遊歩道では、山吹の花が鮮やかに咲いていた。散っていくものと、鮮やかに咲き誇っているものが、すれ違っていくようだ。「また、来年会えるさ!」とさくらに、いや、桜に言い残してそこを後にした。
水面桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 17:56
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桜とさくら
2007年04月
桜を見ていると、さくらを思い出す。
そう、寅さんの妹のさくらだ。

若い頃、寅さんの映画は面白いと心の中では思っていても、口が裂けても好きとは言えなかった。山田洋次監督の映画は好きだったけど、あまり、人には語らなかった。「なんか、おしゃれじゃないんだよなー!」と耳をほじりながら、思ったものだ。

でも、山田監督の本をむさぼり読んでみると、なんとも、深いのだ。お互いが響き合い、俳優の良いところも悪いところも生かされている。それぞれの持ち味を生かして、監督は「そのままを演じればいい」と、さくらを演じる、倍賞千恵子さんに言ったそうだ。
僕の仕事は、寅さんと同じようにヤクザな渡世人。北から声がかかれば、出向いていき、南から声がかかれば「あいよっ!」と飛んでいく。出かける時は、決まって「おれは、出て行く、旅の空!」
心の中では、寂しいくせに啖呵切った手前、「止めるな!さくら!」と捨て台詞を吐く。そうなんだ、ダンディなどと強がっているけれど、さくらに止めてほしいのだよ。そして、時には「おに〜い〜ちゃんっ!」ときつく叱ってほしいのだ。どんなにかっこつけていても、僕は、寅さんとなんら、変わりはしない。
桜がなぜ、いいかって?あんなに優しそうで可憐な花なのに、強風にも負けず、羽目を外しそうな僕を止めてくれるような気がするんだよね。
桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 12:32
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アンダルシアから、チェリーブロッサム
2007年04月
週末、打合わせの帰りに不忍池へ立ち寄った。
桜が満開なので、カメラを向けた。

みんなカメラを持って、桜日和を満喫しようとしているが、とにかく、風が強い。ファインダーを覗いて、息を止め、風が止む一瞬を捕えようとするが、花びらはブレる。焦る。桜がぴたっと止まらない。背後の視線が気になる。早く終わらせたい。

そのうち、桜の花びらが、ダンスを踊っているように見えてきた。ここは、タブラオと呼ばれる酒場。フラメンコダンサーのドレスが、宙を舞う。木々をよぎる風が、ざわざわと蠢き、カンテのように聴こえる。カスタネットの音が小刻みに聴こえ、サビーカスのギターが、哀愁を誘う。
ピントが合わないのは、まさにバッドチューニング。僕は、この瞬間まで、わざわざカメラを三脚に取り付けて、桜にピントを合わせなくてはいけないと思い込んでいた。心の中で、もう、普通の桜は見飽きたじゃないかと、つぶやく。僕が撮らなくたって、毎年同じような写真を誰かが撮影している。こんな花見があってもいい。気分は、アンダルシア。
上野で見つけた、桜のバッドチューニング。
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投稿者 hidetoshi shinohara : 01:49
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